未明に揺れを感じて目がさめる。地震だ。結構大きい。ユラユラと、しかも長い時間揺れた。初めは夕べ飲んだバーボンウイスキーが回ったのかとも思った。お母さんを揺すり起こしたが、地震に気づかないのか、起きようとはしなかった。耐震構造が考慮されているとは思えないが、アパートが崩壊するのではないかとは思えなかった。しかし、天井に、しかも私の枕の真上にぶら下がっている大型エアコンが不気味である。コンクリートの天井に細いネジで留めてあるだけである。いつ落下してきてもおかしくない。ハラハラしているうちに地震は収まった。
ドルに対して円が急騰している。一気に3円ほど値上がりして、1ドルが112円台での取引だと言う。これはバーツへ両替するチャンスである。この円高は、単に日本円が強くなっているのではなく、ドルの価値が下がっているだけで、タイ・バーツも一呼吸置いてから値上がりするはずである。つまり、この一呼吸をしている間に円からバーツに両替してしまうのが得策である。旅行小切手を25万円ほど両替しよう。優泰の学校の学費を、今学期分まだ未納にしていたので、ここで両替したお金で納入してしまおう。
昼にお母さんが韓国料理屋で友人たちと食事をすると言うので、韓国料理屋までビートルにお母さんを乗せて行く。私はそれからナイトバザールにあるアジア銀行に立ち寄って両替をしようとする。が、ここの銀行、相変わらず接客態度が良くない。そして、やたらと待たされる。どうやら、私の旅行小切手のサインが気に入らないらしい。パスポートに書かれている字体と違うと主張するのである。確かに、私の旅行小切手はパスポートと違い、パスポートは丁寧に書いたサインなのに対して、旅行小切手は真似できないように崩した字体で書いてある。前回もこれでモメて、散々待たされたが、今回もずいぶんと待たされた。
待たされている間に、別の両替客がやってきた。茶髪にバミューダパンツで、私はてっきり日本の若者だと思った。時間がかかる私に「どうしたの」と舌足らずな口の利き方できいてくる。が、発音がどうもちょっとおかしい。最近の若者はこんな発音をするようになったのかぁ、世も末だなぁと一瞬思ったのだが、話をしてみたら、タイ人であった。日本の早稲田大学に留学していたが、学費が高くて馬鹿らしくなって帰ってきたのだと言う。で、日本は物価が高くて困ったとか、食べ物では焼肉が一番美味しかったけど、食べ放題の肉はまずいねと言う。そして、「日本の女の子は綺麗だよねぇ」と言う。私は平均点を付けたら日本の若い女性よりもタイ女性のほうがポイントが高いように感じている。それでも、日本のテレビドラマの吹き替え版を見慣れているタイ人たちは、日本の女性は皆テレビに出てくる女優さんのように綺麗だと信じているから、「日本の女の子は綺麗だよねぇ」発言がしばしば聞かれる。でも、彼は日本に留学していて、平均点を知っているはずなのに、、、「どうしてそう思うの?」と聞きただすと、「だって、おヘソをだして歩いているでしょう、それ大好き」と答えた。なるほど、チェンマイではヘソ出しルックはあまり見かけない。
20分以上かかって両替を終えてから、優泰の学校へ回って今学期分の授業料を納める。25万円を両替して得た8万バーツはそのまま学校の経理課の引出しの中に吸い込まれ、代わりに領収書が手渡された。タイでは千バーツは大金である。最高紙幣は千バーツで、このお札で市場へ買い物に行こうものなら、ほとんどの店でつり銭が無いと断られるはずだ。それが、この学校では、半年分の授業料だけで、その千バーツ札が80枚も必要なのだから、、、。優泰には、もう少しちゃんと勉強をしてもらわなくては、、、。
夕食には7月にもチェンマイへいらっしゃったKさんが、私のHPを見て、小屋がけ食堂への支援物資として、業務用濃縮麺ツユ1.8リットルと福神漬け、花ラッキョ各一キロをわざわざ日本から持参してくださった。小屋がけ食堂への日本人客の少なさとは対象的に、支援者は多いようだ。今回もKさんは焼酎を持参してくださった。今回は奄美の黒糖焼酎で、なんと一升瓶入りである。コカでタイスキ鍋を囲みながらいただいたが、当然ながら三分の一も飲みきれなかった。まったく、重たいものをわざわざ日本から持参いただいて恐縮である。
朝食
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ご飯とトン汁。 |
昼食
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クロワッサンサンドウィッチ。 |
夕食
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コカにてタイスキ。 |