9月22日 土曜日
今日はメーサイからビルマへ出国し、タイの出国と再入国のスタンプをもらいに行こうと思う。我々が持っているビザは1年間有効なのだが、連続で滞在できるのは90日までとなっており、この期間中にタイを出国しなくてはならない。本来なら来月末まで居続けられるのだが、来月も行事が多く、何時出国できるかわらないので、今のうちに出国スタンプをもらう事にした。
メーサイまではチェンライへの山道を走る国道で行けば、近いのだが、交通量も多く、のんびり走るのには向かない。そこで、やや遠回りとなるが、ファン街道を経由して行ってみることにする。この道だとお母さんお気に入りの「ホームメードスタイル」の食堂の前を通るので、朝ご飯はそこで食べることにする。
7時前に起き出して、朝の運動とランニングをおこなう。久々のランニングのためか、息が苦しい。アパートにもどって、すぐに出発できるかと思っていたが、やはりお母さんと優泰は支度にたっぷりと時間がかかり、アパートを出発したのは8時を回ってしまった。
ファン街道は、途中のメーリムあたりまでは交通量も多く、特に観光客を乗せたワゴン車が猛スピードで走り抜けていく。9時にはチェンダオの手前の「ホームメード」の店に着く。お母さんと優泰はアメリカンブレックファストのセットメニュー。私は朝からタイ料理。この店はタイの食堂としては、本当にゆったりしていて、雰囲気が良い。自然に囲まれ、エアコンも無いのにいつも涼しそうだ。のんびりと1時間ほどかけて朝食をとり、再びファン街道を北上。交通量も少なくなり、石灰質の山が多いのか、さまざまな奇形をした山が現れてくる。途中の集落で、優泰がのどが乾いたと言うので、ビン入りの赤い清涼飲料水を買う。また、中華まん売りがバイクで通りかかったので、アンまん(アンは緑)と肉まんを買う。
街道はところどころで拡幅工事をしており、工事区間は砂利道となっている。その砂利道も大型トラックが多いためか、轍ができ、穴があいていたりして、走りにくい事この上ない。コツンコツンと砂利が跳ねて車体に当たる音がする。
ファンからビルマ国境近くのタートンでメーコック川を渡ると、のどかな山村を抜ける道となり、交通量はほとんど無くなり、追い越していく車も、対向車もほとんど無くなった。ファンまでのような鬱蒼とした森林は少なくなり、見晴らしの利く丘の道が続いた。
メーチャンの町外れで、アジアハイウェイに合流し、更に北上。2時過ぎにはメーサイの国境検問所に着いた。国境ゲートまでビートルで乗りつけ、係官に車で越えられるか聞いたところ、越えられるが、歩いていったほうが良いと言われる。車で入るとビルマ入国料に20ドルかかると言うのだ。たしかに狭い国境の町に車は必要無いし、ビートルはタイ側へ置いていくことにした。タイの窓口にパスポートとそのコピーを提出し、コピーにタイの出国印を押して返してくれる。が、パスポートは係官が預かってしまい、ビルマへはこのコピーを持っていく事になるらしい。
橋を渡ってビルマ側へ渡り、ビルマ側の係官へパスポートのコピーを提出すると、ピンク色の引換証を渡された。また、入国料としてひとり5ドルを要求される。これは大人だけで、優泰の入国料は免除であった。
それにしても暑い。直射日光がとてつもなく強い。ビルマ側の町、タチレクはタイ側よりも埃っぽい。まずは食事をしたいのだが、まともな食堂がなかなか見つからない。穴ぼこだらけのメインストリートを東に500メートルほど歩く。商店の多くは漢字の看板を掲げており、ビルマ文字も多いのだが、その比率はタイ以上だ。それに商店自体も野暮ったい。男子学生たちはカーキ色のロンジー(ビルマ式腰巻)で闊歩し、もちろんしゃべっている会話もビルマ語だ。
珍しくタイ文字で「スキ(ヤキ)」と書かれた食堂を見つける。タイスキなど食べたくは無いが、店はここしかまともなところがなさそうだ。店の入り口でタイスキ以外にもメニューはあるかと聞いたところ(タイ語が通じる)、「ある」という。さっそく入って、エビだんごのフライとチャーハンを注文。チャーハンはパラッと炒めてあり、美味しい。そしてエビだんごフライは芸術的だった。味も然ることながら、フライを載せた皿は、タロイモを捏ねて麺状にしたものを油で揚げて器としている。つまり皿ごと食べられる。また、添えてあるトマトはバラの花のように切ってある。野暮ったいと思われたビルマにもこんなに手の込んだものを出す食堂があったとは、、。しかし、食事代はタイよりも少し高いようであった。
市場を歩き、安いという洋もくを買ってみる。うまくすれば是で小遣いが稼げるかもと思い、マルボロを2カートン買う。たったの140バーツであった。この値段は尋常ではない。偽者の可能性も十分ありそうだ。
ビルマ出国時に正規(?)の免税店へ立ち寄ってみる。売っているのはお酒類ばかりで、洋酒を買う気も無い。安いと言ってもタイのメコンウイスキーなどと比べれば、やはり高いのである。そんな中にシンハビールの缶も並んでいた。価格はひと缶が18バーツであり、タイ国内価格よりはずいぶんと安い。3割くらい安い事になるだろうか、、。しかし、だからと言って、大量に買い込む気にもなれず、ふた缶だけ買った。しかし、あとで考えたら、どうせ飲むものだから、1ダースくらいは買っておくべきだったかもしれないと反省する。
タイ側へ戻って、パスポートの返却を受けるが、タイ出国のスタンプが押されていない。我々がメーサイへ来たのはタイ出国のスタンプが欲しかったからで、これでは用をなさない。係官と交渉するが、係官の判断では、まだ40日以上タイに滞在できるから、もっとギリギリになって手続きすれば良いと言う。「それはそうだが」と食い下がると、奥から彼の上官らしい人が出てきて、出国スタンプはここから2キロ戻ったところの入管事務所での手続きになると言う。自分がそこへ行って手続きをして来てやるからと言ってくれた。
待つ事15分ほどでタイ出国のスタンプが押されてパスポートは戻ってきた。そしてもう一度ビルマ側へ行って、正式なビルマ入国と出国のスタンプをもらって来いと言う。またも国境の橋をビルマ側へ渡る。ビルマ側の係官にも事情を話して、パスポートにビルマ入国と出国のスタンプを押してもらい、4度目の橋を渡ってタイへ戻る。タイの入管で正式にタイ入国のスタンプをもらって、晴れてこれで12月20日までのタイ滞在ができるようになった。
メーサイとビルマで3時間以上も時間を費やし、ビートルでメコン河畔の町、チェンセンをめざす。私としてはメコン河畔で冷えたビールを飲みたいと以前から思っていた。チェンセンの町に着いたのは、もう夕日が沈む頃であった。今晩の寝床を探そうと町の中を捜すが、ホテルらしきものが見当たらない。すっかり暗くなってしまい、チェンセンゲストハウスと書かれたロッジを見つけたが、お湯のシャワーが出ない事にお母さんは難色を示し、他を当たることにした。リバーヒルホテルならお湯が出るはずと言うので、そこを目指すが、すっかり暗くなった町では、どこにホテルがあるのか、まるで見えなくなってしまった。町の人に聞きながら、ようやくたどり着いたときには時刻は7時を回り、ガソリンはほとんど空の状態であった。
このリバーヒルホテルは表通りからは奥まったところに立つホテルで、宿泊料は850バーツという。部屋は広くは無いが、タイの小物などを配置し洒落ていた。お母さんと優泰にシャワーをさせている間に、ガソリンスタンドの位置を確認し、ガソリンを入れに行く。
7時半に、夕食を取りに外へ出る。私としてはなんとしてもビールを飲みたいので、ビートルは置いての徒歩で外出をしたのだが、ホテルの立地は相当の町外れだったらしく、街灯もほとんど無く、星明りの中をメコン河畔へ向けて歩き、川沿いに町の中心を目指す。川港には中国からの五百トンクラスの貨客船が沢山停泊していた。
しかし、チェンセーンは相当な田舎なのか、外国人観光客が少ないからなのか、気の利いた食堂はまるでない。中国からの船員目当ての屋台や、地元の人向けの茣蓙敷き食堂はあるのだが、、。結局この川沿いで食べるのはあきらめる事とするが、ホテルからは相当歩いてしまったので、家族3人で夜道を引き返すのは無謀と判断。川沿いにできていた移動遊園地で遊ばせて、その間に私ひとりホテルへ走り、ビートルを連れてくることにした。もう夕食のビールはあきらめなくては、、。
サンダル履きで夜道を走るのは大変であった。無理な走り方をしたためか、左足のひざを痛めてしまった。それでも、なんとかホテルまで走って、ビートルでお母さんと優泰を収容しに戻る。やっとの思いで移動遊園地へ戻ったが、優泰は回転式の吊り下げ飛行機に乗ってご満悦である。この遊具、日本ならものの3分もグルグルと回れば、「はいオシマイ」となるところなのに、ただひたすら回転するだけで、延々と止まる様子が無い。結局10分以上も回りつづけていた。
夕食はまだ店を開いていた町の食堂に飛び込んだが、時刻は9時近くなり、優泰は食事を半分も食べずに、もう眠たそうにコックリコックリをはじめた。とても、これ以上は無理かと思い、ホテルへ戻って寝かせることにする。
ホテルへ戻ってから、私は2人を部屋に残し、未練の残るメコン河畔へビールをもとめてさまよい出す。河畔ではもうほとんどの店が閉まっていたが、1軒の食堂で、経営者らしき夫婦が店のテレビを見ていたので、ビールを一本所望したところ、快くビールの栓を抜いてくれて、コップも貸してくれた。良く冷えたシンハビールを手に河畔の堤防に腰掛けて、川風に当たりながらビールを飲む。中国船の甲板でも船員達が飲食をしていたり、マージャンをしたりしていた。が、川面は暗く、対岸のラオスにも灯は無いので、船が浮かんでいなければ、ここがメコンかどうかも分からないくらいだ。是非とも今度は、夕方のビールにしたいものだ。