旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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2月22日 金曜日    天気は晴れ 

優泰はこのところ毎日遅刻をしている。今月になって遅刻をしなかったのは一度しかない。それでも始業時刻を10分くらいすぎても平気な顔をしているから、日本に戻ったらどうなるだろう。もちろん、タイの普通の学校ではよく朝一番に朝礼のような事をしているから、遅刻などはあまりないのだろう。普通の学校では国歌の斉唱と国旗の掲揚式もある。優泰の通うインターの学校では当然そのようなものなどない。

午前中、バンコクのビザを扱う旅行会社から電話が入る。タイのノンイミグラントビザを取るのならばラオスよりもマレーシア東海岸のコタバルにあるタイ領事館が融通が利くと情報をもらう。ペナンの領事館は有名だが、コタバルのような田舎町にも領事館があったとは知らなかった。もう少し必要書類などの情報が欲しいとお願いをして電話を置く。

午後、八王子から3ヶ月の予定でチェンマイにロングステイしているTさん夫妻が訪ねてくる。Tさんたちが所有しているビザは観光ビザで滞在期限は入国後60日となっている。そして間もなくその60日目になるので、ここらでビルマ国境のメーサイから一旦タイを出国して、再度30日分の滞在許可をもらおうと考えたそうだ。しかし、日本へ帰国する飛行機は4月6日で予約してあり、逆算するとこの方法ではメーサイへ行く日をよく計算しないと滞在可能日数が不足する可能性がある事が判明した。そこで、安全パイのイミグレーションに出頭して、滞在期間を延長してもらう事とした。入管の係員はビザの延長には簡単に応じてくれた。それどこか、もう1回延長ができるから、ソンクランの水掛祭りを見てから帰国するようにアドバイスまでしてくれた。まぁ手数料が500バーツと高いが、わざわざビザのためだけでメーサイへ行くのを考えれば、こんなものかもしれない。

Tさんはついこの間までインフルエンザにかかって2週間ほど寝こんでいたそうだ。奥さんも知らぬ土地で頼りのご主人に寝こまれてさぞ心細い思いをした事だろう。電話でもしてくれればいくらでもお手伝いしてあげられたものを、、、日本人はどうしても「困ったときはお互い様」と言いながら、世話になるのをやたらと遠慮する傾向がある。しかし、ここはタイなのだし、ほんとに遠慮なんかしてくれなくても良いのに、、。

夕方から優泰のクラスメートの誕生会がナイトバザールのマクドナルドであるというので、そこへ優泰を送り、7時にまた迎えに行ったのだが、マクドナルド前は駐停車が禁止されており、優泰が出て来るのを路上で待つのは気が気ではなかった。交通整理のおまわりさんは頻繁に巡回してくるし、、ビートルのエンジンルームを開けて、故障の修理をしている振りをしながら優泰が出て来るのを待った。5メートルほど後ろにバイクを停車させた西洋人はおまわりさんに捕まって罰金を払っていた、、。10分後、ようやく優泰が出てきたので急いでビートルに乗せ、さっさと立ち去った。

 

朝食
クロワッサンサンドウィッチ。
昼食
YMCAの食堂にてお母さんと食事する。私はプタ肉をハーブで煮込んだもの。お母さんはチャーハン。それと白菜と豆腐のスープも注文する。
夕食
優泰はマクドナルドでハンバーガーを食べたと言う。お母さんはお粥を作り冷凍していた明太子を解凍して食べていた。私は小屋がけ食堂から唐辛子入り五目野菜炒め載せご飯を買って来て食べる。
 


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(2015年5月からのブログ)

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