8月22日 金曜日 天気は曇り 一時雨 そして晴れ
久しぶりに自分の時間が持てるようになった。と言っても、朝に優泰を学校へ送ってから、午後に迎えるまでの限られた時間だけど、とても貴重な時間である。この貴重な時間を使って何をするべきか、やりたいことはたくさんある。でも、バイクに乗りたい。ちょっと冒険風なツーリングに出たい。我が家のミニバイクではパワー不足である。ここはレンタルでもっとパワフルなモーターバイクで山道に挑もう。候補はいくつかある。ドイステープの裏からメーホンソン県に抜ける道も以前から挑戦したいと思っていたし、メーサリアンからビルマ国境のサルウィン川に抜けるルートもビートルでは走りきれず課題として残っている。が、どちらも距離がありすぎ、昼間での時間では足りない。そこで、先日チェーホムからチェンマイへ抜けるルートを選択してみる。チェンマイからの距離も往復で300キロ程度で、7時間もあれば走りきれるだろう。
優泰を学校に送り込み、駅前のバイク屋から半日120バーツで110ccのスーパーカブ型モーターバイクを借りる。スズキ製の4サイクル。順調にチェーホムへの分岐点までチェンマイ−チェンライ街道を走る。やはり新しいバイクで110ccあるだけあり、快調である。ちょっとくらいの坂道などでへこたれる事も無い。チェンマイから50キロほどの地点でチェーホムへの分岐点に至る。ここからが山道となる。いきなり凄い山道で、ギアをローに落とさなくては登れない。それでも、坂が急なだけで、舗装はされており、路面もそれほど荒れていない。これならビートルでも抜けられたかなと思う。舗装路は10キロも行かずに途切れ、未舗装の路面に砂を撒いた道となる。見た感じで舗装工事の途中と言ったようで、坂道ではスリップこそすれど走れない道ではない。道幅だって充分にある。
この手のタイの山道で困るのは分かれ道などでキチンと方向を示す標識が出ていないことだ。分かれ道などで、整備状態のよい道を選び、道なりに走っていくと、小さな集落に突き当たって行き止まりになったりする。そんな失敗を何度も繰り返した。そろそろチェンマイ県とランパーン県の県境かなと思われるあたりにあった別れ道では、片方は森の中に消え入りそうな岩だらけの登山道で、もう一方は路面が穴だらけで荒れ果てているけれど、一応舗装がされた形跡がある。私は迷わず舗装路を選んだ。何十年前に舗装したのか分からないが、もともとは道幅が4メートルくらいあったのだろうが、両側とも草や蔓が生い茂り、アスファルトは砕かれ、実際には道幅が2メートルにも満たない。その狭い道も陥没やひび割れなどでガタガタである。下り坂が多く、このまま下ればチェーソーン国立公園にいたり、そこには温泉もあるので、ひと風呂浴びられると確信していた。今朝は曇り空で日も照っておらず、山間部でもあることで、半そでシャツで出てきたことを後悔するほど肌寒い。腕には鳥肌まで立っている。風呂に入って早く温まりたいなぁと想像しながら坂を下る。集落がチラホラ出てくる。しっかりとした木造建築の建物で、なかなか立派な作りの村である。イイ雰囲気だなぁと思って更に進むと丁字路にぶつかった。立派な舗装道路である。あぁようやく山を越えられたか、、。これなら大したこと無かったと思い、右に進むべきか、左に進むべきか考えた。ここには見づらいながら方向を示す看板が出ていた。右へ行くとチェンマイ・チェンライ、左はサンカンペンとある。あれれ、これはおかしい。ランパーン県に入っているはずが、どうやら間違って再びチェンマイ県側へ山を下ってしまったようである。30分近く時間をロスしてしまった。今しがた下った坂道を戻り、途中の集落でランパーン県方面への道を尋ねる。「この先の三叉路を右に進めば、、」と言う事であった。
三叉路はやはり先ほど迷った県境と思しきところであった。そして、一瞬また戸惑ったが、森の中に消え入りそうな山道に乗り入れる。バイクもトライアル用で走らなくてはならないくらい石や岩だらけの登山道のようである。石や岩だらけなどまだ良い方で、泥道になるとハンドルもタイヤも取られる。轍もひどく、ステップを擦ったりする。轍があるくらいだから通行する車やバイクもあるのだろうが、一向に出会わない。こんなところでパンクでもされたら大変だ。岩の尖った角を踏まないように慎重に路面を見ながら走る。でも、下ばかりを見ているとバランスを崩しやすい。
更に10キロほど進んだところで集落に出る。山間ながらここもしっかりした集落で、学校もあった。もうここまで来れば国立公園へも近いだろうと安心して、そのまま集落を行き過ぎた。しかし、集落を過ぎると、道は更に悪くなってきた。ドロと水溜りの連続で、原生林に消え入りそうである。ひょっとして、さっきの集落から分岐路でもあったのではないだろうかと不安になる。土の路面にはチェーンのあとがついている。四輪車は雪道のようにチェーンを巻かないと走れないのだろう。私は下り坂なので、ハンドル操作とブレーキにだけ気を使っていれば、なんとか通り抜けられるが、もし逆方向なら、タイヤがドロで滑って立ち往生していることだろう。もう、同じルートで帰ることは断念している。引き返すこともできない。なんとか国立公園の入り口に11時半までにたどり着ければ、別のルートでチェンマイへ戻れる。距離は150キロ以上と遠回りとなるが、ハイウェイのような道なので3時間もあればチェンマイに戻れるだろう。
しかし、11時半になっても泥道との格闘していた。12時も過ぎ、これは困ったことになった。優泰の迎えについてお母さんに連絡を取りたいが携帯電話の電波が届かない。集落はおろか作業小屋さえ見当たらない。ただ、曇り空が晴れて日が出てきたことが救いである。寒くて薄暗い森林地帯を走っていると気が落ち込んでくるが、明るく暖かくなると元気が戻ってくる。
国立公園の入り口にたどり着いたのは12時半になっていた。ここからは完全舗装の素晴らしい道となった。山道なので急カーブはあるが、時間が無いのでスピードを上げて走る。途中でスコールにあうが、スピードを落とすことなく時速100キロ近いスピードを維持して走る。目が風圧で涙目になって、前がよく見えない。メーカチャンでチェンライからのハイウェイに合流し、峠を2つ越えてチェンマイの町外れになんとか2時半に到達した。
優泰を迎えて帰宅後、疲れたのでベッドで休憩でもしようとしたら、携帯電話のベルが鳴った。小屋がけ食堂のおばさんからであった。おばさんから電話があるとは珍しいことである。何事かと思うと涙声である。
「トゥトーンが死んだ」と言う。トゥントーンと言うのは小屋がけ食堂のアイドル的存在の猫である。とてもなつく猫であった。数日前から具合が悪くなったと言って動物病院に入院させていた。それが今日の午前中に死んでしまい、家に連れ戻してきたところだと言う。私も急いでおばさんの家に行く。居間の床の上に薄い布に包まれたトゥントーンがいた。背中をこの家のお嬢さんが涙を流しながらさすっている。私もトゥントーンの頭をなでてやる。もう冷たくなってしまっている。ゴロゴロと喉を鳴らすとも無い。おばさんが説明するにはどうやら白血病だったらしい。もう病院に連れ込んだときには手遅れの状態だったらしく、相当悪化していたそうだ。トゥントーンは目を半開きにし、手足を伸ばしきっている。伸ばした前足の先に力が入ったまま固まってしまっている。きっと苦しかったのだろう。硬くなってしまった身体だが、尻尾だけはまだ柔らかく、指ではじくと、まだまるで生きているかのように床で弾む。
おばさんが昨日病院へ見に行き帰り際に、自分も家に戻りたいとトゥントーンは声をからして泣いたそうである。きっと自分でも悟っていて、皆に見守られていたかったのであろう。おばさんは昨日連れ帰ってあげれば良かったと言っては何度も首を振った。ふだん、ゴロゴロと寝てばかりいる猫であったが、きっと体の具合が悪くて寝ていたのであろう。そうとは知らずに、私たちはトゥントーンのことを「まったく、寝てばかりいていい気なものだ」と軽口をたたいていた。
小屋がけ食堂の庭先に私は穴を掘った。トゥントーンを埋めるための墓穴である。土をスコップで掘りながら、汗と共に涙が流れてしまった。そして、トゥントーンを埋める前に抱きかかえ、その顔をじっと見てみると、ずいぶんと顔がほっそりとしてしまっている。数日来何も食べられなくなっていたと言うから、痩せこけてしまったのだろうか、、。いつも食堂にいて皆に可愛がられていた猫なのに、死ぬ時は誰にも見取られずに息絶えていったと思うと悲しくなる。首にノミ取り首輪を巻いてやる。私が以前トゥントーンに買ってやったものである。深さ30センチほどのところに横たえ、食堂の調理台が見える方角に頭を向けてやる。さようならトゥントーン。
朝食
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ご飯と豆腐の焼き物。 |
昼食
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食べる時間なし。 |
夕食
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台湾食堂にて餃子、ハム炒飯、豆腐と青菜のスープ、卵とネギの炒め物。 |
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