11月21日 水曜日
冷房なし寝台列車は窓からディーゼル機関車の吐き出す煤が入り込んでくる。そして、窓から入り込んで来るのは、煤だけではない。真夏ならば歓迎される夜風も、この乾季のタイ北部では身を震わせる。なんとも寒いのである。夜中に何度も目を覚ます。駅に停車しているときだったり、闇夜を走っているときだったりするが、4時過ぎに目を覚ました。汽車は山の中を走っている様子だ。外は闇だからはっきりとは分からないが、上り坂を登っているようだ。時計を眺めて何を勘違いしたのか、時刻を6時過ぎと思いこんでしまった。6時過ぎに上り坂とすると、まだクンタンの峠を登っている事になるわけで、クンタンの頂上からチェンマイまで1時間かかるから、遅れている事になる。今日はチェンマイについたら急いでアパートへ戻り、優泰を学校へ届けなくてはならない。それにしてもなかなか夜が明けないなぁ、、。と、思って時計を見てようやくまだ4時過ぎだと言う事に気がついた。なんだ、まだこんな時間か、、やがて峠を越えたのが山を下り始め、ランパンに着いた。
それでも汽車は20分ほど遅れた。チェンマイに着いたらもう7時15分である。本来なら優泰をビートルに乗せて学校へ向けて出発する時間だ、、。運転手と料金交渉することもなく、トゥントゥクに荷物もろとも乗り込んだ。今回は大きな荷物のほかにオフクロさんもいるのでトゥクトゥクの荷台では狭すぎるほどになった。
アパートに着くと7時半になっていた。エレベーターに乗ろうとすると、ちょうどお母さんと優泰に出くわした。荷物をお母さんに託し私はそのままビートルに優泰を乗せて学校へ向かった。渋滞する道をモーターバイクに混じってすり抜けて、学校へは始業1分前に滑り込んだ。
アパートに戻ると、オフクロさんはこの部屋が気に入ったようで、ベランダに出て外を眺めたりしていた。チェンマイへ来たばかりで恐縮ながら、オフクロさんには午前中留守番をしてもらうことにした。お母さんは学校の韓国人の子供のお母さんの家へ行くことになっており、ロータスで10時までに待ち合わせだと言う。なにか明日は学校の先生たちの昼食に韓国のお母さんたちが集まって料理を持ち寄る事になっているそうで、今日はその準備だそうだ。一方私も10時にはYMCAでタイ語のレッスンが待っている。そのためアパートを9時半には出ることになった。
YMCAのタイ語のクラスを今日はミンさんが教えてくれる事になった。ミンさんはさすがに教え方が上手だ。しかし、ポーン先生はどうしたのだろうか、、クラスメートに聞いたところでモーターバイクに乗っていて車と接触して事故になり手術を受けて3日間の入院をしているそうだ。チェンマイは本当に交通事故が身近にありすぎる。運転が下手なくせに運転に注意を払わないドライバーが多い。それに夜など酔っ払いが堂々と運転している。まぁ、日本でも地方へ行けば車に乗ってスナックやバーに繰り出す事が多いようだから、タイだけの問題ではないだろうが、タイの車はフロントガラスにも濃い目のスモークフィルムを張りつけているので、夜など前が良く見えない。さらに無灯火の車やモーターバイクも多い。私は極力日没後の運転は避けるようにしている。
昼食には小屋がけ食堂でパッタイ(タイ式ヤキソバ)とひき肉のバジル炒め載せライスを買って来て、オフクロさんと食べる。日中になっても部屋の中は涼しい。短パンだと寒いくらいだ。昼食後にオフクロさんが滞在中に寝泊りする部屋を借りる。同じ10階にあるツインベッドルームであった。オフクロさんをこの部屋へ案内し、気が向いたら近所にでも散歩に行くように勧めたら喜んで出かけて行った。2時15分には優泰を学校に迎えに行くから、それまでには戻ってきて欲しいと伝えた。
しかし、時間になっても戻ってこなかった。部屋へ行ってみたがいないようだ。まぁまだ外に出て道に迷ってしまうほどボケていないはずだが、やはりここでは交通事故が一番心配だが、まぁ何かあれば連絡があるだろうと思い、ひとり優泰を学校に迎えに行った。
学校から戻ってくるとオフクロさんは部屋にいた。ショッピングセンターの中をブラついていたのだそうだ。そして、お母さんもそのうち戻ってきた。優泰に宿題をさせて、夕方から4人でリンピンスーパーへ買い物に行く。買ったものは長ネギに豆腐、コーヒーフィルター。アパートにもどるともう暗くなってしまった。やはりチェンマイも冬なのだろう。日が短くなった。なんとなく日が短いと夕方が寂しく感じられる。
夕食はコカでタイスキ鍋を囲む。4人なので注文する具も多くなった。しかし、昨夜も良く眠れなかったし、長旅だったので、メコンウイスキーを飲んでいるうちに眠たくなってしまった。オフクロさんも自分の目で我々家族の生活ぶりを確認して安心しているようではあった。
前日へ 翌日へ
|