旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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8月21日 火曜日

昨日買った菓子パンで朝食とし、優泰を幼稚園へ身送った後、お母さんをビートルに乗せてロータスショッピングセンターへ行く。ビートルの床などのカーペットを張り替えたいと思って、カーペットを探しに行ったが、マットやじゅうたんのようなものがあったが、適当なカーペットはなかった。結局ロータスでは、お母さん用に砂糖や粉類を入れるビンやタッパーを買っただけであった。

アパートへもどってそのまま映画館へ行く。先日から期待していた「スリヨータイ」を見に行く。まず、スーパーでカッパえびせんとコーラを買う。次に映画の切符を買ったが、一般の映画が70バーツなのに対してスリヨータイは100バーツとなっている。さすが話題の映画はマーケットプライスになるのだなぁと感心する。また、前回の猿の惑星とは異なり、指定席も良い席はほとんど埋まっていた。

スリヨータイの内容だが、さすがに話題の映画だけあって、従来のタイ映画とは製作が大掛かりであった。しかし、残念ながら英語の字幕が出るわけでもなく、全編タイ語だけなので、結局セリフはひとつも聞き取れなかった。だからこのような歴史大作は内容の理解に相当苦労した。特に私の場合、女性の顔の識別力に欠けるという問題があり、ときどき配役がチンプンカンプンになってしまった。が、ひとつ印象的だったのは、はじめアユタヤがチェンマイを攻めようとした際に、チェンマイ側は、花をもってアユタヤを迎え入れ、無血開城するのだが、その雅やかさはさすがにチェンマイだけある感じた。が、それもつかの間、一度は友誼を結んだかに見えたアユタヤは再びチェンマイを急襲してしまった。チェンマイを愛するものとして、映画であってもアユタヤが憎く感じた。と、まぁ映画の本筋とはかけ離れたところで一喜一憂していた。が、残念なこととして、時代考証にやや甘いところがあったようだ。今から450年前の時代背景なのに、大砲の弾が着弾時に炸裂したりしていることだ。

映画は約3時間と長いものであった。見終わった後、スーパー前のクーポン食堂で昼食を食べ、デパートでプラレールを買って、アパートへ戻ろうとしたところ、プロバイダー料金を払っていないことに気づき、優泰の幼稚園への迎えをお母さんにお願いして、慌ててアパートに戻って、振込み用紙を取って銀行へ走ったが、時すでに遅く本日の窓口業務は終了していた。とぼとぼと銀行からアパートへ戻ってくる途中で、お母さんと優泰に出くわした。優泰の友達のワハシ君とそのお母さんも一緒であり、我が家へ遊びに来てもらうことになったという。ワハシ君のお母さんは英語が堪能だったので、お母さんにその相手役をお願いし、私は自室へ引っ込んでいた。

夕食には、久しぶりに小屋がけ食堂へ行って、野菜のオイスターソース炒めと鶏肉のトムヤムスープを作ってもらう。ここのおばさんの具合はまだ良くなっていないのか、会社務めをしている娘さん(と言ってももういい年なのだが)がひとりで店を見ていた。優泰には他に豚挽き肉味の即席ラーメンも作ってあげる。

夕食を終えて、優泰を寝かせてから家を出る。今晩9時半発のバンコク行きの汽車に乗る。3等車ばかりのオンボロ列車だが、寝台車が一両だけ連結されている。この寝台車の乗客はほとんどが外国人観光客で、その傍若無人ぶりにはあきれるほどだ。通路いっぱいに荷物を置き、2段ベッドの上と下とでひっきりなしに話していたり、半裸や汚い服装でうろつき、まったくヒッピーたちと乗り合わせたようだ。窓を開け放ったままにしているので、蚊も入り込んでくる。タイ国鉄も是非この汚い連中を隔離するようにしていただけないものだろうか。おとなしいタイ人の車掌では彼らに注意することもままならないようだ。

 

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(2015年5月からのブログ)

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