6月20日 木曜日 天気は曇り
朝9時頃に目を覚ます。夕べは1時過ぎに帰りついて、お母さんに報告などをしてから寝たのでベッドに入ったのは午前3時過ぎであった。起きだして、まずはメールのチェック。ずいぶんと届いている。午前中いっぱいかかってほとんどのメールに返事を書く。
先日の固定資産税に続いて、住民税の請求書が届いているそうだ。失業時に住民税は17万円くらい一括払いこんだつもりでいたが、それは一昨年の所得に対する住民税で、今回のは昨年分の所得に対する住民税らしい。昨年は6月まで給料をもらっていたのだからし方がないか、、。しかし、この手のものはバーツで考えるととても大きな金額に思えてくる。以前は納付書を持って銀行で税金の振り込み手続きをしていたが、この手の振り込みもインターネットバンキングでできるのであろうか、インターネットで処理できれば、東京のオフクロさんに手間をかけなくても済むのだが、、。
昼食にお母さんがスアンドーク門近くのファーイという食堂へ行こうという。どうやらお目当てはここのケーキらしいのだが、家には食べ物がないと言うし、辛いものは食べられないとも言うので、小屋がけ食堂のメニューでは対応できない。しかたなくビートルで出かけることにしたが、ビートルの前面の汚い事はなはだしい。全面虫の死骸だらけである。ミント色のビートルが茶色のまだらになっている。こんな車に日中乗っていくのは気が引けるがし方がない。明日でも水洗いをしてあげることにしよう。なお、側面や後部は多少埃が付着している程度で綺麗なままである。
午後、ながらく中近東方面へ一人旅に出ていたO女史が訪ねてきた。3ヶ月近い長旅で、ずいぶん日焼けしたようだ。旅の話よりもチェンマイの話しが中心となったが、チェンマイに帰ってきたら住む所がなくなったと言うのである。長期に留守にするのでアパートの賃貸契約を解除して出かけたが、帰ってみると適当な物件がないのだと言う。狙っていた別の2軒のアパートも満室でむこう2年は空きが出そうにないという。チェンマイの家具付きアパートは品薄気味らしい。中でも寝室が独立し、キッチンのある1LDKタイプはなかなか見つからない。ここナコンピンコンドーでも、現在ある2つの空室はいずれもワンルームタイプで、今まで住んでいた部屋よりも方位やキッチンの作りで見劣りするらしい。私たちのように簡単に部屋が見つかったのはラッキーに近いようだ。もっとも、最近日本人には部屋を貸したがらないと言った噂もよく耳にする。一部の人たちが原因なのだろうと思うが、困った事だ。
夕方から日記の更新にあたる。洗濯をしていたお母さんが不機嫌になる。「少しは手伝ってよ」と言いたいらしい。機嫌をいったん損ねると後々まで影響するので、洗濯当番を引き受ける。洗濯物を見ると私たちの留守中に一度も洗濯機を回していなかったようだ。先週の週末の汚れ物などが出てきた。洗濯機が洗ってくれるのは良いが干すはちょっと大変だ。ハンガーが足りない、物干しも足りない、、。
朝食
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優泰とお母さんはコーンフレークを食べていた。私は白いご飯に佃煮と梅干。 |
昼食
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スアンドーク門近くの食堂で、優泰はカニチャーハン、お母さんは五目野菜炒め、私はベジタリアンのバジル炒め。優泰たちは特大のショートケーキをひとつずつ食べる。毎度の事ながら、食事代よりもデザート代が高くつく。 |
夕食
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いただきもののチラシ寿しをお母さんと優泰は食べ、私は小屋がけ食堂からひき肉団子の揚げ物や青菜の炒め物を買ってくる。 |