5月19日 月曜日    天気は曇り   

 日本人授業補習校の父母会に出席する。いつもながら通っている児童数に比べて父母会に参加される父母の数は圧倒的に少ない。まぁ平日の午前と言うこともあって、仕事を持っている人などはなかなか出席しづらいのだろう。それに、現在では児童のほぼ半数が日タイの混血児となっているわけで、特に母方がタイ人の場合、この父母会に参加してもそこで話される日本語での議題を良く聞き取れないことも原因になっているのかもしれない。しかし、それでもこの父母会はけっこう白熱していた。投げやりになってしまえば「どうでもいいじゃないですか」と言ってのけそうな議題を真剣に議論し、予定時刻をオーバーしてしまうのだから、日本の小学校での父母会より白熱しているのではないだろうか、、。議題の中には新設される「教頭職」について、その仕事が今までの教務主任とはどう違うのかとか、今後生徒に配る漢字と計算のドリルの取扱いと授業での活用をどうするかなどが話し合われた。本来なら私もこうした白熱した議論は好きなので、どっちでもいいことをダラダラと講釈つけて発言したいところだったが、あろうことか、機先を制されて、書記役を任命されてしまい発言の機会を逸してしまった。

 この父母会で話し合われたことを「どっちでもいいこと」などと書いてしまったが、しかし、発言の内容は現在のチェンマイ補習校の抱えている問題点を浮き彫りにしていた。特に日本の文部科学省の学習児童要綱に沿って、しゅうい学習児童要綱に沿って、週一日だけの補習校で各学年の所定の課程(ただし国語と算数のみ)をこなさせるのは、学校内だけの勉強では不十分で、漢字や計算問題など何度も反復練習しながら補っていく必要があるためドリルを導入しようと言うことを代表から説明があったのだが、父兄の中にはインターの学校の勉強のこともあり、これ以上補習校から宿題を出されるのは困ると言った意見も出てきた。もちろん、家庭でも日本語での学習を行わなければ各学年の授業にはついて行けなくなるのだが、何年かのちに日本へ帰国する主に駐在員の家庭と、主に混血児で日本へ帰る予定のない家庭では、補習校の授業に求めるものが根本から異なっている。方や日本に戻って不自由のないようにしたい家庭と、日本語が話せるようになれば良いと言った家庭とに大きく分かれてしまっている。なお、同様の問題はバンコクの日本人学校でも発生し始めているらしい。

 父母会が終わった後も私は補習校に残って図書係を手伝って児童図書の整理にあたる。先週の土曜日に終わらなかったジャンル別の色分け作業を午後3時近くまで行う。子供たちが読む本なので、特に低学年向けの絵本などにはかなり損傷の激しいものもある。日本の学校図書館ならさっさと廃棄処分にしてしまうところだが、この補習校では多くの本が寄贈元のある本だし、それぞれが大切な財産なので、テープを貼ったりして補修をする。かぐや姫の本は本を綴じている糸が切れてバラバラになりかかっていたので、これは私が持ち帰って修繕することにする。私は補習校で修繕係りをおおせつかっているのだ。

 夜、ラジオ局から帰って、お母さんを誘ってサイモンキャバレーへニューハーフショーを見に行く。このシアターができてすでに半年近くなる。広大な駐車場まで準備してチェンマイの夜の観光名所として期待されたサイモンながら、こちらもSARSの影響をまともに受けて客の入りは全体の5分の1以下のようだ。もっともSARSが騒がれる以前から満席になっていなかったようだが、、。チェンマイはタクシン現首相の出身地と言うことも会って、チェンマイ関連の開発プロジェクトはたくさんある。特に観光に関するプロジェクトは多く、今年には動物園にパンダが東南アジアで初めてお目見えするし、ナイトサファリと言った夜の動物園も新しくオープンする予定だ。これらがすべて完成すればチェンマイへの観光客誘致は相乗効果もあって飛躍的に伸びるであろうが、現在のところはこのサイモンキャバレーも辛酸を舐めていなくてはならないようだ。もっとも、経営状態にかかわらず、ショーそのものは豪華だし、見ごたえも十分ある。もっともっと積極営業に乗り出しても良さそうな気もする。ショーのあとドレスアップしたニューハーフたちに見送られて駐車場まで歩いたのだが、チップ目当てに「一緒に記念写真とろうよ」と声をかけられる。チップだって大した金額ではないだろうが、残念ながら私たちはカメラを持ち歩いていない。「カメラ持ってこなかった」と言うと、とても「このイジワル!」と言った顔を返されてしまった。お母さんは「みんな綺麗なのに、声を出すとイメージが崩れるね」と言った。

朝食

ご飯に野沢菜わさび漬け。

昼食

チェンマイのカレーラーメン(カオソイ)。

夕食
カレーライス。

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