10月18日 木曜日
学校のインターナショナルデーの本番である。福笑いの用意も出来たし、カレーも温めなおして味の調整をするだけだ。しかし、それだけの事でも朝の忙しい時間にしようとすると、つい時間が足りなくなり私は朝食をとる事が出来なかった。
優泰を学校に送り、戻ってくる時にご飯を小屋がけ食堂で30バーツ分購入する。たぶんこれで6合分くらいの分量になるはずだから、何とかなるだろう。
アパートへ戻って、準備したものをビートルに運び入れて、お母さんと学校へ向かう。カレーは鍋ふたつに分けたが、こぼれないか心配なので、運転には慎重を期した。張替えたばかりのカーペットがカレーの海になったら最悪だ。
学校ではどこへ行けば良いのか何も指示がなかったが、着いたところで同じく食べ物を用意してきたらしいタイ人のお父さんがいて、奥の講堂でやるらしいと教えてくれる。講堂内はガランとしており、ステージ手前に椅子が並び、入り口側にテーブルと紙に手書きの国旗が並んでいた。集まった父兄達は、講堂隅に持ち寄った食べ物を置いていたので私もそれに倣った。
やがて先生がやって来て、なにやらマイクで話し始めたが、構内に声が反響してしまい優しい英語なのになかなか聞き取れない。一応今日の段取りのような事を話したようなのだが、こう言うのは出来れば簡単なプログラムでも配って欲しいものだと思う。そして、子供達が入場してきて、インターナショナルデーがはじまった。子供達は出身の13ヶ国がどこにある国なのかを、説明していた。それからタイダンス風のものを踊った。ダンスは上手な子供もいたし、そうでない子もいた。ほとんどの子供達は出身国の衣装をつけているのだが、やはりタイの子は地元だけあって、きらびやかな民族衣装をつけている子が多い。それと、どうやらこの一年生たちの年齢構成に幅がありそうだと言う事に気づいた。まだ幼稚園児にしか見えない子もいれば、小学校の3年生くらいの子もいる。優泰は身体は大きいのだが、しぐさや行動は幼稚園児並だ。
続いて、子供達はグループ分けされ、父兄が用意したアクラクションに参加する事になった。私の出番が回ってきたわけだ。日本のテーブルには日本語を選択しているハイスクールの子供達が手伝いに来ていたが、私の福笑いははじめ子供達よりもこのお兄さんお姉さんに好評であった。それとグループ分けされた子供達も統率が取れていなく、てんでな行動になったりしていて、まとまりがない。本来は各国のテーブルをグループ毎にまわることになっていたが、人気のテーブルには子供達が集まり、動こうとしないし、人気のないテーブルには寄りつきもしない。私の用意した福笑いはまずまずの出来だったようで、用意した8面の福笑いは好評のうちに全部目鼻がついた。
持ち寄った食べ物を食べる時間となり、私はお母さんや、同じく日本のお母さん達に手伝ってもらってカレーライスを皿によそった。全部で30皿以上でき、テーブルがカレーライスだらけとなった。しかし、カレーを作りすぎたのか、ライスが先に底をつき、カレーがだいぶ残ってしまった。日本のほかのお母さん達はカマボコを綺麗に切って持ってきていた。インドではサモサ、香港では中華まん、ヨーロッパではケーキ、アメリカではポップーンが用意されていた。一番賑やかなのはやはりタイで、前菜からデザートまで豊富に用意されていた。しかし、これも人気の食べ物と人気のない食べ物とで明暗を分けた。私のカレーライスは父兄たちにも好評で、皿によそったもはすべてはけてしまった。
昼に会は終わった。学校を出る前に、学校のカフェテリアの様子を見に行く。これほどの学校にしては、貧弱であった。なにより食事のメニューがひどい。ハンバーガー以外はタイのものなのだが、タイ料理のメニューは麺類以外はバットに入った3種類だけであった。また、麺類の価格を聞いたところ20バーツだと言う。
アパートに戻り、やはりちょっと疲れた。私も学校であれこれと試食させてもらったので、いまさら昼食を取る気もなく、お母さんにだけクオッティオ幅広うどんの醤油炒めを買ってきて食べさせる。そして、再び学校へ優泰を迎えに行く。今日3度目の学校往復である。
午後、1週間でビートルが埃だらけになっていたので、水洗いをして、インバーターの設置をする。部屋から扇風機を持ち出し、インバーターに接続してスイッチを入れたところ、少し唸り音を立てたがちゃんと扇風機は回りだし、一応設定は成功したようだ。あとはビートルに載せられるくらいの小型扇風機を購入するだけだ。
夕食には昼に残ったカレーを食べる。私はカレー粉と唐辛子を大量にぶち込んで極辛にして食べる。しかし、まだカレーは鍋に残っている。明日もカレーを食べなくては、、。
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