5月18日 土曜日    天気は曇り、ときどき雨  

 優泰を補習校へ送り込み、その足で昨日発見したホンダのディーラーの奥にあるラビットスクーターを撮影に行く。
 工員たちも珍しげに集まってきた。持ち主の年配の工員は得意満面である。車体そのものは埃を被っていて、欠品部品も目立つが、海外に渡って40年経過したとしては状態は良いほうだろう。補修部品も入手困難であろうに「良くぞここまで生きていてくれた」と感動してしまった。車体番号やエンジン番号、主な構造的特徴をメモする。ラビットスクーターのホームページ(Rabbit House)BBSにアパートへ戻ってから問い合わせをすると、昭和37年頃に輸出目的に製造された402A型との事。ホームページの管理人のY氏もアメリカから逆輸入した同型車を所有していると言う。このラビットスクーターは一体どのような経緯でチェンマイに辿り着いたのだろうか、、。年配の工員さんは30年前に中古で買ったと言っていたが、30年前といえばまだベトナム戦争中で、タイは米軍の補給基地であったわけだから、米軍関係者が持ちこんだものだろうか?メーターの表示はマイル表示になっていたし、、。

 今日は優泰の日本人補習校は給食の日で、メニューはカレーうどんと酢の物、リンゴ、コーヒー牛乳だそうだ。今回は残さず食べてくれると良いのだが、カレーうどんは美味しいので全部食べられたが、あとは残したと優泰は後で白状した。

 午後に優泰を迎えに行くと、連絡帳に先生の確認サインが入っていない。先週も、その前の週もそうであった。優泰に確認すると連絡帳を先生へ提出していないのだそうだ。先生は毎週この連絡帳を回収し、家庭からの連絡事項を確認し、宿題の内容を記入してくれるのだが、先生の手元に渡っていない優泰の連絡帳には当然ながら宿題についての記載が無い。先週は半日授業だったので、帰られる前の先生をつかまえて宿題の確認が出来たが、今日は課外授業が午後にある日で、先生は既に帰られた後であった。しかたなく、優泰のクラスメートの連絡帳を見せてもらって宿題の範囲を確認した。そうしたら、宿題のプリントも配られている。が、そのプリントが優泰のカバンには入っていない。優泰に「プリントをどうした?」と確認したが、「え、しらない」と言う。これは宿題をしたくないための作戦ではないかと疑ってしまう。

 宿題のプリントについては、やはりクラスメイトから借りて近所のコピー屋さんへ持ちこみコピーをとらさせてもらう。複写を終えて、プリントを返しにその子のアパートまで行く。チェンマイで最高層の建物の上層階にある部屋までエレベーターで上がると、吹き抜けの廊下から見えるチェンマイの景色のきれいな事!そして、下界とはだいぶ気温が違うのか、吹き付ける風が肌寒い。半袖シャツの私は腕組するほど寒く感じられた。

 年金関係のビザ関係の説明書がほぼ出来上がったので、その資料を月曜日にバンコクまで届けることにする。そのためのバンコク行きのバスの切符をバスターミナルまで買いに行く。今回もどこのバスにしようかと一瞬悩んだが、ソンバットツアーのバスを選んでしまった。バンコクまで自腹で資料を届けに行って、別に何らの報酬を受けるわけで無し、ただの恩返しと思っての出張だから、交通費ぐらいは節約しなくては、、。バンコクでの経費などを含めて、1回のバンコク往復で1000バーツほどに押さえなくては、、。

 夕方、今日撮ったチェンマイのラビットスクーターの写真を整理して、Web上にアップする。是非とも全世界のラビットファンに見てもらいたいものだ。

 

朝食

ご飯に味噌汁をかけて食べる。優泰にはオムヤキソバを作ってやって食べさせる。

昼食
小屋がけ食堂のオバさんのところでタイ式ヤキソバのパッタイを作ってもらう。オバさん今日は市場でネギを仕入れるのを忘れてしまったそうで、ネギ無しのパッタイである。
夕食

晩ご飯も小屋がけ食堂で作ってもらう。肉団子の揚げ物は唐辛子入りとタマネギ入りの2種類を作ってもらう。それからカシューナッツと鶏肉の炒め物、豆腐と春雨のあっさりスープ。

 

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