11月16日 金曜日
優泰の学校では今日は「運動会(スポーツデイ)」と言う事になっている。以前に各種目の手伝いを募集する案内は来たが、それ以外に招待状もプログラムもなにも来なかった。いったい父兄は招待されているものかと昨日学校に確認したら「どうぞ来てください」とのことであった。
まず、7時過ぎに優泰を学校に送り込んで、今度は9時にお母さんと再び学校へ「運動会」を見学に行く。しかし、何かが大きく違っていたみたいだ。運動場を周回する競技トラックもなければ、組ごとに整列して応援している様子もない。子供たちは首からカードをぶら下げて、まるで体力測定のような事をしている。団体競技など全然見当たらない。私はスポーツデイを運動会と解釈してしまっていたが、どうやらただの全校体力測定日だったようだ。しかし、低学年を中心に見学に来ている父兄も結構いる。優泰はどうしているかと捜してみると、優泰も何をして良いのか判らずにボール遊びなどをしていたので、捕まえて、首にかけられたプログラムにしたがって測定を受ける様に誘導した。
10時前に私はお母さんを学校に残してYMCAへタイ語レッスンに向かう。今日のレッスンはいつもと先生が違った。なかなか教え方も上手だ。そしてほとんど口にしないがどうやら日本語も良く理解できるようだ。生徒の大半が日本人なのでこれは便利な事なのだが、文例に登場する人物名が「鈴木」や「佐藤」などと日本人名なのはアメリカ人の生徒に対してちょっと配慮が足りないかな、、。
12時にタイ語が終わるとその足で再び学校へ戻る。どうやら体力測定は終了しているらしく、かけっこだの障害物競争などようやく運動会らしい種目を低学年たちが始めていた。優泰もスプーン玉子レースに参加したが、途中で球を落とし、手で拾い上げ、それを握ったままゴールへ走ったが、ビリから2番であった。お母さんも優泰も既に食事を終えたというので、私一人での昼食となったが、学校の食堂では今日はハンバーガーしかできないと言う。冗談じゃないので、私は学校から抜け出しプリンスロイヤル学校脇の精進料理の店に入って肉無しのカオソイ(カレー風味ラーメン)を食べる。
食事を手早く済ませて学校に戻ると、優泰の名前が呼ばれている。どうやら参加種目なのにどこかへ言ってしまったようだ。お母さんは学校の食堂で韓国人のお母さんと話し込んでいる。こりゃイカンと優泰を探し出し、参加者たちの列につける。股の間にボールを挟んで飛び跳ねながら走るリレー競技であった。そして競技を終えて戻ってきた優泰が、喉が乾いたと言うので、水飲み場で水を飲んだらすぐにまた次ぎの競技だから列に戻る様に言いつけた。しかし、次ぎのバケツリレーが始まっても優泰の姿が見えない。水飲み場にもいない。食堂で話し込んでいるお母さんのところへ捜しに行くと、食堂の隅でアイスキャンディーを舐めていた。そして私の姿を見つけるとさっと隠れて、一目散に逃げていった。さっきもアイスキャンディーの棒を2本も口にくわえたまま競技に出ていたので注意したのに、またアイスを買っている。まったく困った子供だ。この辺のところはアパートに戻ってお母さんにしかってもらう事としようと思った。今晩から東京に向かうのだし、出掛けに叱りつけたりして不愉快な気分になりたくない。
スポーツデイは2時に終了した。アパートへ戻り、優泰が眠いと言うので、昼寝をさせる。その間に私は東京へ行く荷造りをしていたが、優泰は30分ほどで起き出してきた。そして、お母さんにしかられる事になったが、アイスキャンディーを何本も買うだけのお金の出所について、調べていくと、私は頭に血が上ってきて、お母さんには任せていられなくなり、問い正すとさらに嘘をつき始めたので、パンツを脱がせてお尻に徹底的に平手打ちを食らわせた。先月も同様にお母さんにヒドク叱られたはずなのに、また繰り返している。平手打ちをする私の指の先が内出血するほど、叩いたので、さぞ優泰も痛かった事だろうと思うが、叩きながら私は悔しくて涙が出た。
そして、優泰は「なぜ悪い事と知っていながら悪い事をするのか」と言う質問に「タイにいるからだ。アメリカなら悪い事はしない。」と言った。いったい優泰は学校で何を教え込まれているのだろうか、、。
気分がすぐれないまま、夕食のおかずを小屋がけ食堂から買って来て食べる。優泰は叱られ終わると、ふだん通りケロリとしている。さっきまであれほど叱られたのを忘れてしまったかのようだ。しかし、叱りつけたほうは、まだ気分が良くない。手を上げて叱った事も思い出すと嫌だし、これからどうやって躾ていったら良いのかと考えると頭が痛い。
7時半近くにアパートを出てトゥクトゥクでアーケードバスターミナルへ向かう。今日のバスはほぼ満席で、私の隣はタイ人のおじさんであった。バスのリクライニングシートを倒しても休もうとしても、昼間の事が思い起こされて悶々としてしまう。いっそ眠らずに車窓でも眺めるかと思っても、夜のハイウェイの沿道は真っ暗でなにも見えない。
走り始めて3時間半。ちょうど12時になろうとする頃、バスは休憩所にたどり着いた。いつも立ち寄る休憩所だが、いままでこの休憩所がどこの町にあるのか判らなかったが、今回は眠れずにいたので、ここがタークの町外れであることが判った。
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