2月16日 土曜日 天気は晴れときどき曇り
今日は家族で一泊温泉旅行に行く。行き先はチェンマイの西隣メーホンソン県のパイ。チェンマイからは140キロと比較的近いのだが、行程の大半が険しい山道のため定期バスでも3時間以上かかっている。そこへビートルで乗り込むことにする。
チェンマイを出発したのは午前10時。ファーン街道を順調にメーテンまで進み、メーテンからは田舎道である。山の峠道に入ってしばらくすると優泰は気持ち悪くなったと言う。車を止めて休ませようかと思ったが、お母さんからお菓子をもらった優泰は急に顔色が良くなって、吐き気もどこへやら、ご機嫌でスナック菓子の袋に手を突っ込んでいる。お菓子を食べ始めてから優泰はもう気持ち悪くなる事はなかった。
途中で一度休憩を取り、お母さんや優泰はアイスキャンディーをなめている。時間的にお昼を食べてもおかしくない時間だが、お母さんはパイに着いてから食べようという。お母さんはタイのこうした道端に良くある店で食事をするのが嫌いなのである。私はここにあった黄色い小麦粉の生麺が美味しそうに見え、これで焼きそばを作って欲しいと思っていたのだがあきらめる。この店はモスリムの経営のようだった。
チェンマイからパイへの道は、その先のメーホンソンまで続いている。この道は現在は簡易舗装がされており、坂が急なのとカーブが多いけれど、古いビートルでも苦もなく走れる。沿道にはほとんど集落もなく、松の多い山の中の一本道である。本で読んだ限りでは、もともとチェンマイからビルマへ物資を送るための軍用道路として日本が作ったものらしい。20年ほど前にメーホンソンからパイまで乾季の道路をバスで通った事があるが、当時はまだ未舗装で道路状態も悪くて、100キロちょっとの道程を5時間もかかっていた。戦時中はこの道を自動車で実際に走れたのだろうか、、。
温泉はパイの町の手前にあった。バンガロー風の小屋がいくつか庭園風の敷地に点在し、小型のプール風の温泉が3箇所にあった。宿泊料は800バーツと安くはない。部屋の中は質素で、テレビも冷蔵庫も、エアコンもないが、大きなダブルベッドが2台入っている。壁一面に握り拳より一回り小さい石ころを貼り付けていて、なかなか洒落てはいる。食事をとってさっそく水着に着替え温泉に浸かってみる。熱いのである。たぶん屋外にあり、太陽の熱も加わってのものだろうが、1分も入っていると体が真っ赤になるほど熱い。しかし、ひろびろして露天の開放的な雰囲気の中での入浴は気持ちが良い。何時も行くサンカンペンの温泉と比べると硫黄分が少ないようだ。温泉から上がると皮膚の水分含有量が上がるのか、肌がしっとりしている。お湯は熱いが柔らかな泉質であった。
夕方、パイの町に出てみる。パイの町はタイの外れも外れ、とんでもない僻地であるが、なぜか西洋人が沢山いる。町のメインストリートは西洋人だらけだ。この田舎の雰囲気が西洋人たちにはアジアチックな印象を与えるのだろうか、、。そして、商売をしているのはなぜかモスリムの人たちが多い。チェンマイでもめったに見かけないようなアラブ女性のように目だけのぞく黒いベールですっぽり覆った女性もいたりする。また、路上で商売をしているのは山岳民族の女性たちだ。モスリムのパン屋で明日の朝食用のパンを何種類か買う。チェンマイでもめったに見かけないような本格的なパンやパイがある。西洋人たちが多いからこんな店があるのかもしれない。20年前に立ち寄ったパイの町は、こんな町ではなかった。確かにヒドイ田舎町だったが、辺鄙な田舎を売り物にするような観光地ではなく、木造の二階家にの窓にはガラスもはまっていないような、昔のままの田舎町で、未舗装の通りの両脇に数軒の雑貨屋があるだけだった。お母さんはここのマッサージ屋に入って1時間ほど全身マッサージを受けてきたが、上手じゃなくてとても痛かったと愚痴っていた。
夜寝る前にも温泉に浸かる。露店風呂なので星空を眺めながらの入浴となった。週末ということもあり、慰安旅行風のタイ人グループが来ており、カラオケ(生バンド)で歌を歌っていた。
朝食
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ピーノートの店でクオッティオうどんを買って来て食べる。 |
昼食
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パイの温泉宿で食べる。お母さんは豚挽き肉のバジル炒めライス、優泰はタイ式卵焼きライス、私は生唐辛子炒めライス。しかし、外国人向けの味なのか唐辛子がほとんど入っていないようだ。私のは生唐辛子ではなくピーマン炒めであった。
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夕食
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温泉宿の食堂の片隅で、五目野菜炒め、鶏肉とカシューナッツ炒め、豆腐のスープ、チャーハンを食べる。私はパイの町で買った米焼酎を持ちこんでソーダ割りにして飲む。
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