10月13日 土曜日
昨夜、生活費のことを考えていたら、眠れなくなってしまった。優泰の学校の経費が大きい。家賃を除いた実質生活費の3分の1以上を占める計算になる。生活費そのものも、考えていた以上にかかっている。これと言って贅沢な暮らしをしているわけではないし、、、。
朝起きて、お母さんに生活費の支出の事で話したが、どうやら私の言い方がまずかったようで、お母さんのご機嫌を損ねてしまった。この溝は今日一日続く事になってしまう。
朝食にお粥を買ってきて食べて、ビートルに乗ってサンカンペン温泉へ行く。アパートを出たところで距離メーターが22222キロになっていた。いったい何周目の2並びなのだろうか。ビートルの距離計は万単位までしかないので、10万キロになるとゼロに戻ってしまう。
サンカンペン温泉までは、スーパーハイウェイとつながるバイパス経由の新道もあるが、大きな木が茂る並木道の旧道の方が好きなので、旧道で行く。温泉までの距離はちょうど40キロで、小1時間で到着。駐車場には観光バスが何台か止まっていて、温泉公園内の木陰には茣蓙を敷いて車座に座った行楽客達が一杯いる。みんな飲み物や食べ物をワンサカ持ってきている。
今日は温泉小屋を2時間で借りて少しのんびりすることにする。小屋を借りる手続きをしている間に、お母さんと優泰は先に温泉玉子を作るといって、玉子を茹でる所へ行った。が、しばらくして「玉子が売っていない」と言いに来て、そしてまた戻っていった。私は先に温泉小屋の浴槽に温泉を貯めようと、指定された温泉小屋へ行って浴槽を洗い、温泉の栓を開く。ひと段落つき、お母さん達の様子を見に行く。しかし、姿が見当たらない。きっとどこかへ玉子を求めてさ迷っているのではないかと思い、公園の入り口まで走って探しに言ってみる。が、そこにも見当たらない。広い園内を駆けずり回っていたら、木立の向こうから日傘をさし、手には玉子の入った竹カゴを持ったお母さんと優泰の二人が見えた。
玉子を熱湯の温泉に漬けて、お母さんを温泉小屋まで案内する。なにかコーラを飲みたいといっていたが、缶入りもビニール袋入りもなかったと言う。優泰は茹で場所で玉子番をしているので、お母さんを小屋へ入れてからまたまた優泰のいる茹で場所へ行く。茹で上がるにはもう少し時間がかかりそうなので、その間にコーラを探してみるが、ドリンクバーのような施設はあるが、一般的な売店のような施設が見当たらない。入り口近くの土産物屋あたりならと思って行ってみたが、やはり売っていなかった。その代わり「絞りたての新鮮牛乳」と看板を出している小屋があった。農場で絞ったばかりの無調整牛乳だそうだ。紙コップ一杯で10バーツと言うから、市販よりもちょっと高いだろうか、砂糖が入っていて甘いのではないかと心配したが、何も添加物は入れていないという。今日も晴れて暑いので、冷えた牛乳を飲みたいところだが、殺菌のために熱いものしかないという。味は、ちょっと牛乳としては薄味だろうか、なんとなく草の味がするというか、豆乳のような感じもした。牛乳が好きなお母さんなら冷えたコーラではないけど、これなら喜んでくれるかと思い、温泉小屋へ茹であがった玉子を持って優泰と向かう。が、やはり飲みなれた牛乳の味と違い、また冷たくないので、好評ではなく、結局私が風呂上がりに飲むことになった。温泉の栓を開きっぱなしにしていたので、浴槽には熱湯のような温泉が溢れ出していた。ここの温泉は源泉そのもので、とても高温である。栓は温泉水と真水の2種類あり、真水は一応冷水と言う事になっているのだが、これもなぜか、かなり温まっており、ぬるま湯程度の温度である。このぬるま湯で熱湯でいっぱいの温泉を冷ますのは至難の技だ。ぬるま湯側の栓を開き、浴槽の熱湯をかき出し、湯もみして冷まそうとするが、なかなか冷めてくれない。お母さんと優泰は温泉小屋のベッドの上で温泉玉子を食べている。湯気と汗でシャツがぐっしょり濡れた頃ようやく浴槽には入れるくらいにまで温度が下がった。
温泉から出て、公園の高台にある食堂に入る。食堂の先客はなんと日本人男性グループであった。年齢は40代後半から50代である。駐在員風ではなく、観光客らしい。感じとして建設業者風であり、観察するとそのうちのひとりの奥さんがタイ人らしく、彼女がいろいろと仕切っていた。まぁ、タイまで来て温泉へ足を伸ばす日本人観光客も珍しいが、ひっと国内旅行の感覚で、「ちょっと湯でも浸かりたいねぇ」って感じで案内されてきたのかもしれない。
この食堂で私はカーウナームートートというものを注文した。メニューには添え書きのローマ字でKATUDONとあった。もちろん、ここでカツどんが食べれるとはハナから考えていないが、どんなものかは興味があった。で、内容は豚の薄切り肉を小麦粉をまぶして揚げた物を平皿に盛ったライスの上に載せ、甘ったるい醤油をかけた物で、玉子は入っていない。その代わり、同じ平皿にキャベツの極太千切りとキュウリが添えられ、甘ったるいマヨネーズがかけられていた。日本趣味と言えるのは、豆腐の入った味噌汁が付いて来た事だろうか。味はカツどんと思わなければ、タイ料理としてはなかなか美味しかった。昼食後はまっすぐアパートに戻り、3時前にはアパートについた。お母さんは少し疲れたのか、横になりたさそうであったが、帰ってきて早々にノートが優泰と遊びにやって来てしまった。私は寝室でPCをいじくっていたが、そのうちお母さんは出かけてくると言って、行き先も告げずに部屋から出ていった。
しばらくして、優泰は「お母さんがいなくなっても、優泰はもうお兄さんになったから、言われなくても何でもできます。だから、プールに言っても良いですか?」と言いに来た。何か変な事を言うなぁと思ったが、別に引き止める理由もないので、プールに行かせた。が、どうやら、行き先も言わずにお母さんが部屋から出ていったり、優泰が変な事を言い出したのは、私が朝、生活費の事でお母さんとの間に溝を作った事が原因だったようだ。この件について、私が謝り夕食までにはなんとか溝を埋める事が出来た。夕食は、昨日の残りのお好み焼が1枚残っており、小屋がけ食堂で五目野菜炒めを作ってもらい、東北(イサーン)料理屋からもち米を半キロ買って食べた。夕食後、お母さんを自転車の後ろに載せて、YMCAのミンさんのご主人の雑貨屋へ米焼酎を買いに行った。ミンさんはいなかったが、ミンさんの女の子がココナツのコプラを食べていた。