6時にバンコクの新モーチットバスターミナルへ到着。トイレを済ませて、すぐに市内へ向かう。昨日までチェンマイに来ていたお客さんたちの所へ顔を出せば、喜んでもらえるかと思い、サイアム・シティーホテルまで市内バスに乗る。もっとも、彼らが今日どのようなスケジュールになっているのかわからないし、早朝から水上マーケットに出かけてしまった後なのかもしれない。まぁそれならそれでかまわないと思いながら、ホテルのロビーに踏み込む。ロビー右側に朝食会場らしいものがあり、覗き込んでみる。いました。まだどこにも出発していないみたいです。早速声をかけてみると案の定喜んでくれた。そして「いゃーやっぱりチェンマイが良かったよ」なんで言ってくれる。そりゃバンコクと比べたらチェンマイの方が住み心地がよさそうだと言うのは当然なのだが、どうやら話を聞いてみると、バンコク到着後に色々とトラブルに巻き込まれていたらしい。それで、そんな発言が飛び出したと言うことが判明した。ホテルの出発は8時と言うことなので、それまでの間、「今晩の夕食はどこに食べに行ったらいいか」などのよろず相談を受ける。
その後、私は日本から来ているある社長さんに会いに行く。私としては、この人を私の計画しているビジネスに引っ張り込み、出資してほしいと言う腹があってのことである。そのために事前の根回しなどを人に依頼してきたはずなのだが、どうもそう上手く行っていなかったようなのである。それどころか、まるで話が別の方向に進んでいる。この社長さんが、H部長の勤める旅行会社を実質的に買収する。ついては、今の旅行会社の人事を刷新して、新しい体制でスタートを切る。そこで私も経営陣に参加させ、日本の営業事務所を任せるのだという。提示された条件は決して悪いものではなかった。朝の9時過ぎから夜7時過ぎまで、メリディアンホテルのティーラウンジに陣取り、私のこと、会社の株式取得のこと、人事のことなどを話し合う。そして、新会社の社長にはH部長を当てると言うことにする。しかし、H部長としては、喜んで社長職を引き受けるといった感じではなく、難色を示している。が、いずれにせよ、買収された場合、この社長さんについていくしかなく、引き受けざる終えないであろう。私もH部長に同意をさせるために、「一緒にやっていきましょう」と声をかけた。つまり、私も口頭では引き受けることを了解してしまったことになる。もちろん、私にとっても、これが本位と言うわけではない。買収する株式の振込み期日まではまだ一ヶ月以上あるし、経営内容の具体化もこれからである。これから細部を煮詰めていく段階でも、もし最終的に私にとって不本意なら、辞退すると言うのも手が残されている。まだ私の契約書は存在しないのだから、、。私が不本意なのは、チェンマイを離れなくてはならないということである。社長さんとしては、この会社が軌道に乗れば、次のステップでチェンマイでのビジネスを考えようということであった。
夜チェンマイへ戻ろうとするが、バスまで全部満席であった。終バスまであと2時間近くあるのにどのバス会社も満席である。当然いつものソムバットツアーも満席で、早々と窓口を閉めてしまっている。こりゃ困ったことになったと他のバス会社の窓口になきついたところ、あるバス会社が、「下の階の席だがイイか、それなら一時間後にあるぞ」と言う。私は2階建バスの1階部分のことだと思い、即座に「もちろんOK」と答えてしまった。しかし、実際にバスを見たらば2階建ではない。案内されたのは、運転助手の簡易シートであった。つまり、ドアのステップに補助椅子のように張り付いた椅子であった。そこに別の客と2人で座れと言う。狭いし硬いし、さらに事故がおきたら助からない場所だ。走り始めてしばらくたち、かなり辛くなってきた。この狭いところに、本来座るはずだった運転助手の2人もしゃがみこむのだから、大変である。そのうちに、運転助手が、「荷物置き場の方が楽だから、そっちへ行きなよ」と言う。たぶん、彼らとしても、しゃがみこんでいるのが辛いし、我々を荷物置き場へ行かせれば、自分たちのイスが確保できるのだろう。荷物置き場は、確かに狭くて硬いイスよりかは楽であった。ちょうどバスの車台と客室の隙間にできた高さ50センチ、奥行き2メートルほどの空間があり、そこへホフク前進でもぐりこむ。横になれるのは楽だが、車台なので硬いし、車の振動が直接あたる。事故のときの生存率はゼロなのは先と同じだが、ここだと死体も発見されない恐れがある。
朝食 |
アパートでがけに作ったカツサンド。 |
昼食 |
メリディアンホテルにある日本料理店「新大黒」にて寿司定食。 |
夕食 | バスターミナルの売店で買ったカップラーメン。 |