11月12日 水曜日 天気は晴れ
昨夜は11時過ぎにチェンライの韓国旅館に到着した。そして、今朝は8時にJ.Travel前に集合と言うことであったので、韓国旅館近くの食堂でクオッティオうどんを食べる。この店のクオッティオうどんはなかなか美味しい。むチェンマイに宿泊するたびに朝食にはここのお世話になっている。値段のほうは20バーツでチェンマイあたりの一般的なクオッティオと比べると少々割高であるが、まぁそれなりのことはある。
J.Travelを出発したのは8時15分過ぎ、ツアーの参加者はどうやら一般応募組みはいなかったのか、J.Travelの経営者夫妻と、その友人のMr.Sさんそして私の合計4人。なんとなく印象的にはJ.Travelの社内研修に私が紛れ込んでしまったような感じがある。本当なら一般の参加者にもモニター参加していただき、感想や意見などを求めたいところだったのだが、まぁし方がないだろう。
メーサイで出国手続きをし、国境の橋をJ.Travelの車で渡る。今回はミャンマー内にタイから車を持ち込んでいるのである。しかし、ミャンマー内の手配については実質的に大半をミャンマー側の国営旅行会社に委託している。まぁ、下見を兼ねた研修旅行なので、パートナーの実力や誠意を調べることも大事な仕事である。が、出だしからあまりパートナー関係を見直したくなるようなことが起こった。今回のツアー参加費のうち、6000バーツはこのミャンマー側の旅行会社に支払った。私は現在私が所属しているチェンマイ・KK社の経営者から、「旅費の提供しても良いよ」と言われており、旅費を出してもらうには「きっちりとした領収書」が必要である。私は私の分についての領収書の発行を求めたが、領収書は発行できないようなことを言っている。仮に発行できてもツアー参加者4人分合計での領収書であるそうだ。しかも、その4人合計で、領収書の券面額は210ドル分だけだと言う。ツアーとしては600ドルほど支払ってその三分の一ほどしか領収書が出ないとは、残りの金額はどうなっているのかと正しても、はっきりとした回答が出ない。しからば、210ドルの明細を出してほしいと要求しても、今は出せないと言う。こんなことは日本人を相手にした旅行業界では通用しないと思われるのだが、、。
国境での手続きを終えて、国境の橋近くでタイバーツから中国人民元へ両替をする。今回の目的地であるモンラーで流通している通貨は人民元だそうで、その両替比率はタイ国境でおこなうのか交換率が良いそうだ。100人民元が約480バーツほどであった。ミャンマーの通貨チャットには交換をしない。ミャンマー国内でもこのあたりでは、タイ・バーツや人民元が幅を利かせており、チャットなど使う必要がないそうなのである。
ミャンマー時間はタイよりも30分遅れており、ミャンマー時間の10時半に国境を出発。今日中に最終目的地のモンラーまで走ることになっている。タイ国境からモンラーまでは250キロの距離がある。以前はひどい悪路であったが、近年大規模な改修工事が完成して、全線舗装され道幅もたっぷりある立派な道路となった。私が何年も前に中間地点のチェントン(ケンタン)まで四輪駆動車を雇って走ったときは、とてつもない悪路であったので、壁世の感がある。もっとも、沿道の風景にはあまり変わったところがなく、まぁ以前は森の中をひたすら走っていたものが、道幅が広がり、切り通しなどになったために、見晴らしが利くようになったくらいである。はじめのうちは、沿道での風光明媚な場所探しなどを兼ねて、あちこちに停車をしてもらったりしていたが、走り出して百キロも行かないうちに、こんなペースで進んだら、今日中にモンラーへたどり着けなくなると言われ、以降はノンストップで爆走することになってしまった。帰り道も同じ道を通るからその時に見ればよいじゃないかと言うことであった。
午後3時近く、だいぶ遅くなってしまったが、チェントンの町で昼食。私としては日本からのツアー客が利用できるようなレベルの店を見ておきたかったが、ミャンマー料理という線も捨てがたく、案内されたのは庶民的なミャンマー料理店であった。味はミャンマー料理悪くなくとしては美味しかった。問題はツアー客に満足してもらえる設備の店ではないことだけである。この辺の感覚というのは、地元の人間にはなかなか理解してもらえないのだと思う。
昼食後もひたすらモンラーへの道を走る。こちらは幾分道幅が狭いが、完全舗装の道路である。行き交う車もほとんどない。そして、途中からはほとんど集落さえ見当たらなくなった。地図を見ると大きな町のようにかかれている個所も、実際には民家が少々あるだけの集落だったりする。また、反対に地図には出ていないのに、十数軒もの家屋が山の斜面に張り付くように立っている集落もあったりした。モンラーまでの沿道には、いくつもの検問所がある。そこで通行書の確認をしてもらわなくてはならない。出発前の説明では、その検問所が10ヶ所以上もあり、そこを通過するたびに相当額の通行料(ワイロと説明された)を払わなくてはならないとのことであったが、実際にはそれほど検問所の数は多くなく、通行料金も些少であった。どうもまだまだミャンマー奥地の情報と言うのは錯綜していて、つかみ所がない。
日も暮れかかったところで、ドライバーがブレーキの不調を訴える。実は走行中もブレーキの粉塵がひどく、喉が痛かったのだが、そのときは「いつものことさ」と説明されて納得していた。しかし、これはタイの運転手に共通して言えることだが、彼らは下り坂であまりエンジンブレーキを使わない。フットブレーキ・オンリーなのである。そのためにタイの車のブレーキパッドは消耗が激しい。が、今回はパッドの消耗ではなく、ブレーキ・オイルの欠乏であった。そのためブレーキを踏んでもブレーキが利かないといった事態に至ったのである。あたりはすっかり暗くなり、モンラーの町まではまだ10キロ以上もある。私は後続の車にでも応援を求めてもらいたいと思ったのだが、ドライバーはハンドブレーキを使ってゆっくり走るから大丈夫と、そのまま車を走らせた。こんな山道でハンドブレーキなどどれほどの役に立つのかと不安でもあったが、数キロと走らずに小さな集落にたどり着き、運良くブレーキ・オイルも手に入った。
モンラーのホテルには7時前に到着。案内されたのは宝龍大酒店と言う新しいホテルであった。が、まったくミョウチクリンなホテルで、造りはまるで郊外型のパチンコホールそっくりである。やたらと広いロビーには家具置物など一切ないガランドウ。しかし、床は人口大理石で、足音や話声がやたら響く。案内された部屋は広広としたツインであったが、照明が半分しかつかない。残りは切れているのだろうか、、。このホテルは英語も、タイ語も通じなかった。通じるのは中国語だけのようである。ガイド氏もフロント係りとはミャンマー語ではなく中国語でやり取りしていた。
ミョウチクリンなホテルは、館内に飲食施設が一つもないことも変わっている。大酒店と名前がついていながら、飯も酒も飲めないのである。唯一客室内のミニバーにはカップラーメンがいくつも並んでいるだけであった。夕食は外に出て中華料理を食べた。立派な店であったが、広い店内に客は我々一組しか入っていなかった。
朝食
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チェンライ市内でクオッティオうどん。
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昼食
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チェントンの市場前にあったビルマ食堂にてビルマの小皿料理。。 |
夕食
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モンラー市内の一見高級そうに見える新新酒家にてニンニクの味の強いマーボー豆腐、ナスの土鍋煮込み、鶏とピーナッツの炒め物、楊州チャーハン、ジャガイモの細切りXOジャン炒め。
夜食に、市場近くで餃子。
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