11月11 日曜日

今日は優泰の運動会である。といっても学校の運動会ではなく、日本人子供会と日本語補習校の合同運動会で、領事館や日本人会なども後援しているようだ。場所は日系の工場が集まるランプン工業団地の村田エレクトロニクスさんの運動場。

今朝も早起きして、運動をする。久々のフルコースで、タニン市場を周回するコースを完走する。よし、体調も万全だ。血行も良くなったし。早寝、早起きもできるようになった。しかし、気になるのはこのところ目が痒い。運動とは関係ないだろうが、なんとなく花粉症の症状に似ている。花粉症から逃れるために日本から脱出したのに、ここで花粉症になったら最悪だぁ。うーん。しかし、アレルギーみたいだ。きっと乾季に入り、空気が乾き、雨も降らず、盆地のチェンマイは車の排ガスが充満し始めているのじゃないだろうか?チェンマイの乾季は涼しいが、空気が悪くなるのは耐えられない。ビートルに乗っても窓を開ける事ができなくなってきた。

朝食にはピーノートの店からクオッティオうどんを買ってくる。ピーノートは小学生だが、週末はよく店を手伝っている。お客の丼を上げ下げしたり、今日は市場へ買出しに行っていた。躾も正しいし、明るく健康的でしっかりした子供だ。

優泰はテレビでウルトラマンを見ていたためか支度が遅く、朝食も半分も食べずに食べ残し、ドヤサレながら歯を磨いたりして、アパートを出発したのは8時40分過ぎになっていた。運動会の受けつけは9時25分だから、あと45分もない。ランプンまで約30キロ。チェンマイの堀沿いの道を右に左にと車を縫うように抜かしながら走り、ハイウェイに出てからは時速100キロで飛ばしたので、9時15分頃にはランプンの工業団地が見えてきた。事前に渡された地図では。「工業団地手前の最初の信号から1キロ先を左折」とあったが、その1キロ地点になっても、左に入る道など見当たらない。これは行きすぎたかと、ハイウェイの路肩を逆走して、細い畑道があったのでその道に入ってみる。しかし、本当の畑道で、こんなところに日系工場などあるわけないと、再びハイウェイにでる。いっそこの先の交差点まで行ってみようと、先へ進み、交差点で信号待ちをすると、となりにスズキ・カリブ(日本ではジムニー)が停車する。乗っているのは近所に住むIさんであった。助かった。Iさんたちも運動会に行くところだそうで、先導してもらう。聞けば、信号が新しくできたので、1つ目の信号ではなく2つ目の信号の先1キロを左折なのだそうだ。Iさんに遭わなければ、ハイウェイで遭難していたところだ。

運動会は子供会(小学校未就学児)30人と日本語補習校60人、そしてその父兄が集まった。欠席したのは1組だけと参加率は抜群だ。運動場は全面芝で覆われており、野球なら2面は取れそうなくらい広い。東京あたりの小学校のグランドより広々としている。開会式やラジオ体操に続いて競技が始まる。しかし、総勢で90人の生徒たちの運動会なので、プログラムは子供会と補習校が代わり番子に組まれており、子供たちは参加競技が終わると休む間もなく次ぎの競技の整列をする事になる。私も一般の部と言う事で「パン食い競争」に参加し、アンパンを1個せしめてきた。感心したのは高学年の生徒たちは実に良く低学年の子供たちの面倒を見ている事だ。きっと山の分校ほどの規模しかないから、学年の壁を超えての交流もあるのかもしれない。その点でも、日本人学校こそないがチェンマイの日本の子供たちはよくまとまっていると感心した。それに運動会の練習など一体いつしていたのであろうか?運動会の進行もつつがなく進み、定刻よりもほんの少し早く12時半には閉会式を迎えられた。赤組と白組に分かれての競技であったが、前半戦は赤組の圧勝かと思われたが、優泰も小学生に混じって参加したリレーで白組が勝つなど、後半戦にかなり挽回したが、あと一歩及ばず、今年は赤組の優勝となった。優勝した赤組にも負けた(準優勝ということになっていた)白組も記念品が渡され、優泰もシャープペンに鉛筆と消しゴムをもらってご満悦であった。

チェンマイへの戻り道ではお母さんも優泰もぐっすりとビートルの中で寝てしまった。今日の運動会は曇り空で日差しも弱く、すこし涼しい風まで吹くなど絶好のスポーツ日和で本当に良かったと思った。日頃、日本人とはあまり付き合いたくないなぁと思っていた私だが、今回の運動会での役員の人たちの活躍ぶりなどを見て、チェンマイの日本人たちもなかなかやるじゃないか、、と感心した。それに引き換え、優泰の学校は一体何をしているのかさっぱりだ。学校の目と価値観は米国に向けられているのか、なんとなくチェンマイに足がついていない気がする。

帰り道、ロータス・ショッピングセンターに立ち寄って昼食を取る。優泰は餡かけ麺を食べ、私は横濱という名の店でマーボー豆腐かけご飯を取る。この横濱は日本風のメニューがあり、他にもカツどんや焼肉定食など日本の定食屋のメニューが揃っている。そして値段は他のクーポン食堂とほぼ同じで、25バーツから35バーツほどである。午後2時にアパート常駐の便利屋(テクニシャン)が来て、コンクリの壁に時計をかけるための釘を売ってもらう事になっており、のんびり食べていられないと、お母さんはここでは食事をしなかった。

アパートに戻り、お母さんは外からフライドチキンともち米を買ってきて昼食とし、スープも飲みたいと言って、味噌ラーメンも茹でる。しかし、少食のお母さんにそんなに沢山食べられるわけないと思っていたが、案の定、ラーメンはほとんど食べられず、優泰が「ラーメン食べる」と言って、私が残りを食べようと思っていたところを取り上げて、ラーメンをすすり始めた。もっとも優泰の事だからたっぷりと時間をかけて食べ、そして残したため、さすがの私でも伸びきったラーメンと、冷めて脂の浮かんだスープを口にする気になれなかった。

午後、ちょっと疲れを感じ、また目が痒いので、少し昼寝をすることにした。ベッドに横になると良く眠れた。夜良く寝ているのに、昼もこんなに眠たいなんて言うのは、これも花粉症の症状に良く似ている。あー嫌だ嫌だ。

夕方5時にベッドから這い出し、優泰のリクエストに答えてスパゲッティを作る。缶詰のミートソースでは野菜不足になりそうだったので、タマネギとトマトを追加で加えてソースを作る。私は言い味にまとまったと思ったが、お母さんには酸っぱいと言われる。確かにタイのトマトは日本のトマトと比べると甘味が薄く、酸味が強いから酸っぱく感じるだろうが、本場イタリアのトマトも酸味が強くて、ポモドーロなんかは、私がはじめてイタリアで食べたときは、なんて酸っぱいスパゲティがあるのだろうかと感嘆したものだ。しかし、今ではこの酸味が好きになったし、トマトの酸味以外にオレガノの酸味も加えて喜んでいるのである。でも、お母さんは酸味のあるソースはお気に召さないようだ。アンダンテに茹でたパスタも「硬い」と言う。お母さんは麺類はフニャフニャが好きなのである。

あれほど昼寝をしたのに、夜も9時になるともう眠たくなってくる。ベッドに入るがお母さんの食べ残したスパゲティまで食べたので、腹が膨れて苦しい。横になるとますます胃の重さを感じてしまう。あー、食べすぎたぁ。

 

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