1月10日 金曜日 天気は晴れ
昨年の春頃だったか、チェンマイへロングステイ下見ツアーでやって来ていたSzさんがチェンマイへやって来た。今回は3ヵ月ほどの滞在なのだそうだ。そして、朝一番に電話があり住むところを紹介して欲しいという。そう言われても、私は不動産屋ではないし。ロングステイの相談屋でもない。とりあえず、私の住んでいるナコンピンコンドを確認してみる。アパートの事務所へ降りて行って空室情報を聞いてみると適当な部屋が現在いっぱいである。Szさんの希望は一人なのでスタジオタイプのツインだそうだ。が、このタイプ、現在ある空きは4部屋で、それが来月まで内装工事に入っていると言う。他にあるのは寝室が2部屋あるタイプでだいぶ広い。
11時にSzさんがとりあえずアパートを見に来たので、7階にあるコーナーの2寝室の部屋を見てもらう。部屋は広く、ベランダもあるのだが、キッチンなどがない。床はカーペット敷きである。値段から見ると悪くないのだが、やはりSzさんの希望には合致しないようだ。まずはアパートの事務所で相談をとエレベーターで下に降りると、O女史にばったりであった。そう言えばO女史の部屋はスタジオタイプで、女史は日ごろ、もっと広い部屋に移りたいと漏らしていた。と言うことは、この広い部屋にO女史が入り、SzさんがO女史の出た後の部屋に入れば、すべては丸く収まりそうだ。O女史を7階の部屋へ案内し、見てもらう。キッチンがなく、カーペット敷きと言うことに難色を示したものの、このままこの部屋を借りて、今の部屋をSzさんに引き継ぐことで合意する。
夕方には日本領事館主催の新年名刺交換会がウエスティンホテルで開かれる。私もこれに参加させてもらう。広いボールルームで参加者達も着飾って華やかである。全体で200人ぐらい来ているのだろうか、知らない顔がほとんどだし、私よりも年上の人が多い。ただ、年配者と言っても、最近増えている年金生活者はほとんど見かけない。たぶん工業団地の人達と、こちらで事業をしている人達が中心なのだろう。君が代の斉唱、領事や日本人会会長のスピーチの後、乾杯となった。飲み物は乾杯まではワインもあったのだが、乾杯後はビール、ウイスキーだけとなった。バイキング式の料理台は1箇所しかなく、その他はスナック類がテーブルに置かれているだけである。前評判では今回の料理は高級日本料理店「みゆき」が出張してくると言うので愉しみにしていた。が、乾杯後、料理台には長い列ができており、紳士淑女たちがまるで機内食のトレーのような四角いプラスチック皿を持って長い列を作っている。これでは料理の配給を受けるまでに30分は待たされるだろう。料理は稲荷寿し、海苔巻、焼き鯖、黒豆、キンピラ、煮物、おでん、ソバ。ローストビーフがあるらしい。料理台から料理を持って出てくる御歴々はプレート皿に山盛りに料理を載せている。そう言えば、昨年末にパヤップ大学のクリスマスミサに行った時も、ミサの後のパーティーは食べ物の争奪戦だった。山岳民も多いためか、みんな我勝ちに料理を皿にコレデモカと盛り上げ、数分にしてすべての料理が消え去っていた。表現は悪いが、一種の家畜の餌付けを見るようであった。日本のホテルのパーティーではなかなかこんな光景は見られないだろう。そして今晩感じたのは、やはり、チェンマイに長く住んでいるとこうしたところでも、行動がタイ人に似てくるのであろうか、、と言うことである。私が料理台に近づいたときは、海苔巻やソバと言った人気の高いものは既に消え失せていた。それでも、煮物にはゴボウがたくさんあって私は嬉しかった。ここチェンマイではこんな立派なゴボウは滅多に拝めるものではない。スーパーの日本食材コーナーへ行っても、こりゃ茶色いモヤシか?と首を傾げるような痩せて貧弱なモヤシしか売ってなく、しかも大変高価である。ソバなどしょっちゅう食べてるし、私には煮物とキンピラがとても貴重に感じられた。
そう、タイにはゴボウがないのである。が、しかし、先の大戦では、日本軍が英米豪の捕虜に対して、ゴボウを食べさせたところ、終戦後になって、「捕虜に木の根を食わせた」として、シンガポールの戦争裁判所で死刑を求刑された兵士がいたと聞いたことがあるが、果たして、本当にゴボウがあったのだろうか、もしあったのな貴重なゴボウを与えながら、冤罪で処刑された兵士はさぞ無念であったことあろう。でも、やはり、あれは本当に木の根だったのかもしれない。
朝食
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ライ麦パン。 |
昼食
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緑の麺を使ったタンメンもどき。 |
夕食
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ウエスティンホテルにて新年名刺交換会。 |