旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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2月10日 火曜日    天気は晴れ 

 寒くて寒くて、ブルブルと震えた。前回までこのパラダイス・ホテルに宿泊してきたときは、バスタブ付の部屋であったが、今回はシャワーのみである。昨夜はシャーワーだけ浴び、12時過ぎに裸で就寝したが、寒くて何度も目を覚ました。特に午前5時くらいからは、くしゃみも止まらず眠れなかった。暖房設備がほしいくらいだが、寝巻きぐらい持ってくるのが先決だったかもしれない。横着をして、泊まりの用意を何もしてこなかったのが裏目に出た。

 8時にSさんと食堂に下りて朝食とする。朝食はバイキングではなくアラカルトであった。ボーイがメニューを持ってきて、「何にしますか」と言われる。通常なら朝食セットだけのメニューを持ってくるべきとも思うが、すべてのアラカルト・メニューとなっている。「何注文してもいいのか?」と聞くと「お好きなものを」と言う。しからばTボーン・ステーキでも注文してやろうかとも思ったが、朝から食べたくもないものを注文しても仕方ないので、無難な「アメリカン・ブレック・ファスト」を注文した。メニューにはお好きなタマゴ料理、ハム、ベーコン、ソーセージなどとトースト、フルーツ、コーヒーか紅茶となっていたが、タマゴが出てこなかった。「タマゴ料理は?」と聞くと「ありません」と言う。なんだか、大きな皿の中心にあるべき目玉焼きがなく、回りに寂しくハムと青物を並べられているだけで、鳥インフルエンザにかこつけて、省略されたような気がした。だいたいこのホテルのあるミャンマーも感染地域に指定されていただろうか、、、。

 このパラダイス・ホテルの販売に関してホテルの責任者と話し合いをおこないたかったのだが、昨晩確認してもいなかったし、今朝になっても誰も分かる人がいなかった。一体これほど立派な施設を持ちながら、客室の販売に関して、誰も分からないとはどうしたことであろうか?カジノが中心で、カジノ目当てに来られたお客に泊まってもらえばそれで十分ということなのだろうか?9時半過ぎまで待って、埒が開かないのでチェック・アウトをしてホテルから引き上げた。

 ゴールデン・トライアングルのメコン川でモーターボートに乗り、メーサイのホテルで昼食を食べる。メーサイのワントン・ホテルは団体客の昼食で大賑わいであった。昼食会場が狭いからか、それともホテルの構造場の問題からか知らないが、ロビーにまでテーブルを張り出して、団体客のバイキング式昼食をさばいていた。毎度バイキングでは食べ過ぎているので、今回は食べるのを押さえようと、スパゲティーとスープだけを食べることとした。スパゲティーはやはり茹で過ぎで、真っ白くなっており、細麺なので茹で過ぎのソーメンのようであった。ミートソースも味が薄く、全体にやたらと水っぽいスパゲティーであった。団体客は西洋人と台湾人が半々くらいで、台湾のグループは盛んにデザートのケーキを皿に山と盛り上げて楽しそうに食べていた。

 メーサイの丘の上にある寺院からミャンマー側を眺めて見たら、新しいカジノ・ホテルができているのを発見した。ミャンマー側、タチレクの町の西寄りに広い敷地を持って低層の黄色っぽい色のホテルであった。タチレクには既にレジーナ・ホテルと言うカジノホテルがあるが、昨夜泊まったパラダイスと比べると全体的に安っぽい。それと、ここの国境は24時間開いているわけではなく、夜になってからにぎわうカジノには適していない気もするが、そのうちここの国境も24時間オープンするようになるのだろうか?

 チェンマイには6時前に帰ってきた。Sさんにムアンマイ市場などを案内してから空港に向かう。ビートルの運転以外に大した仕事もしていないのにずいぶんと疲れてしまい、夜は10時前には眠ってしまった。

朝食
パラダイス・ホテルのアメリカン・ブレックファスト。
昼食
ワントン・ホテルのバイキング。
夕食
ポークシチュー。

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