朝7時にプラザホテルにT夫妻をお迎えしてゴールデントライアングルへ向かう。チェンライ街道ではなく、北周りのファン街道経由の道を取る。ご夫妻のお年は70近いし、帰りはビートルではなく、チェンライからの飛行機の便を予約してある。行きしなも、ビートルで山道を走っていくのは、ちょっと負担が大きいのではないかと危惧されたが、お元気そうだし、沿道の景色があまり面白くないチェンライ街道よりも、変化のあるのほうが、退屈しないドライブが可能と判断して、多少道が悪く、遠回りになることを承知でファン街道でミャンマー国境を目指すことにする。
朝のチェンマイはまだまだ涼しく、窓を開けると少し寒いくらいである。乾季には珍しく快晴であり、空気も澄んでいる。快適に北を目指して走る。チェンダーオ近くのガソリンスタンドでガソリン補給をしようとQ8と言うスタンドに入る。「95を500バーツ」とスタンドマンに告げたが、なにかブツブツ言っている。95と言うのはオクタン価95のことで、つまりハイオクガソリンのことである。こちらはガソリンタンクのキャップまで開けて待っているのに、一向にガソリンを入れようとしない。そしてまた何かブツブツ言う。よく聞いてみると「ナムマンモッレーウ」と言っている。ガソリン、売りきれと言う意味だ。私もあちこちのスタンドでガソリンを入れてきたが「ガソリン売りきれ」なんて初めての経験である。同乗のT夫妻もあきれていた。ガソリンが売り切れなら代わりにテセィーゼルでもと言うわけに行かず、別のスタンドでガソリン補給をした。
その後も順調にドライブを続け、11時半にはメーサイのイミグレーションに到着。ここでタイ出国のスタンプを貰う。それから、国境の橋を渡ってミャンマー入り。今日は日曜日と言うこともあって、この橋を渡る人が多い。そのため物乞いの子供たちの姿が相対的に少なく感じる。私に「金オクレ」と言い寄ってくる子供が数人しかいないのは助かる。可哀想だとは思うが、本当にお金がなくて食事もロクに取れないと言うのではなく、休憩時間に橋の袂でパック入りのジュースなどを飲んでくつろいでいる姿などを目にすると、哀れみより不快感のほうが増大してくる。でも、もっとよく考えると、本当には、この子はそれほど惨めではないのだと確認したわけで、むしろ祝福すべきなのかもしれない。
ミャンマー側のタチレクではオートバイ改造の三輪車に乗って観光をする。はじめにレジーナホテル内にある首長族の展示場へ行く。西洋人の大きな団体客と鉢合わせしたが、人権問題に神経質な西洋人もこの人間展示場を見学して盛んに写真を撮り合っている。西洋人たちはちょうどここのショーを見学し終わって帰るところだったらしい。ここのショーはお客が5人集まらないと踊らないことになっていて、ちょうど間の悪いことに、彼らが帰った後はお客は我々だけになってしまった。ここの入場料は140バーツ。このままショーを見ないで帰ってしまうのはもったいなく、ステージ前に陣取り、他の客が入ってショーがスタートするのを待とうと思ったが、客は入らないのに我々だけのために首長族とアカ族の踊りが始まった。踊りそのものは素朴と言うかシンプルすぎるものであった。むしろ、ショーなどの形式などではなく、彼女らの生活小屋の前で刺繍などをしている姿を見せてもらったほうがよかったかなぁと言う気にもなった。
昼食を食べるべくレジーナ・ホテルに入る。タチレク随一の高級ホテルながら、エントランス周りを含めて極めて造作が悪いホテルである。造作の悪さを通り越して、悪趣味と設計ミスが重なり合ったようなものである。
「食事だよ」とボーイに告げると「バイキングもあります」と言う。値段も120バーツと手ごろなことを言うので、案内されるままに地下へ連れて行かれた。地下は賭博場になっており、入り口で荷物を預けさせられる。更にエックス線検査台をくぐらされる。こんな思いをして入ったバイキング食堂だが、失敗であった。ホテルのバイキングだから、バラエティーがあって良いかなと思ったが、全然ダメである。生野菜少々とタイ風の汁物、炒め物が少量あるだけで、食べるところもクーポン食堂並である。これは外部から食べに来るところなどではなく、ギャンブルをしている最中にちょっとツマミに来る程度の内容である。同じカジノホテルでもパラダイスのそれとは大きく開きがあった。結局ここのバイキングでは食事をせずに、一階にあるアラカルトの食堂に入った。ここは客の姿はなく、昼時と言うのに食事をしにきているのは我々だけであった。
午後からはゴールデン・トライアングルへ行って、ボートに乗り、ラオス領のドンサオへ上陸したりした。結構時間が押してしまって、本来チェンライの温泉に浸かってから空港へ向かい、7時半の飛行機に乗ってもらおうと思っていたが、ラオス領から戻ったところで、もう時刻は5時半になっている。ここから空港までは小一時間かかるので、今回は温泉に入っている余裕がなさそうだ。
空港には6時半に到着。新しく就航したプーケット航空にチェックイン。プーケット航空のカウンターは電算化されていないようで、コンピューターはなく、ファックスで送られてきたと思しき予約客名簿と照らし合わせながらのチェックインで、搭乗券なども全て手書きであった。そして、その予約客名簿に入っている名前もたったの11人しかない。高々、1000バーツほどの航空運賃の区間で、この搭乗率では、空港の着陸料にもならないのではないかと心配になる。さらに、あまりの搭乗率の低さに欠航するのではないかと心配になった。
T夫妻をチェンライ空港で見送り、私はビートルでチェンマイへ向かう前に、駐機場を確認してみた。そして、双発のYS-11型機がすでにチェンライへ到着しているのを見て安心した。この飛行機が折り返しT夫妻を乗せてチェンマイへ引き返すのである。これなら間違いなく飛んでくれるであろう。安心して夜道をチェンマイへ向けてハンドルを切った。途中の沿道の集落ではささやかなロイクラトン・フェスティバルが開かれていたり、ウィアンパパオの町では電飾で飾り立てられた山車のパレードと遭遇した。チェンマイの街中ではピン川へ灯篭流しに来る人たちで大渋滞にも巻き込まれたが、夜9時半過ぎには無事にアパートへたどり着けた。
朝食
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インスタントラーメン(塩味)。 |
昼食
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タチレク・レジーナホテルにてカニチャーハン、鶏肉のバジル炒め、五目野菜炒め。 |
夕食
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インドネシア製インスタント・ミーゴレン。 |