11月6日 火曜日
今日も朝はコーンフレークである。2日続けてコーンフレークの朝食と言うのも寂しいものがある。
ビートルは応急処置のままなので、無事に優泰とお母さんを学校まで送り届けられるか心配である。学校への行きがけに昨日のようなエンコは是非とも避けたいものだ。
優泰は朝の支度をもたもたとして、アパートを出るのが遅くなった。学校への道は渋滞するだろうし、ビートルにはつらい走行になりそうだ。が、エンジンの始動はうまくいった。加速時や低速時にちょっと不整脈があるが、このままでも十分役に立ちそうで、部品交換などしなくても十分な気がしてくる。
こんな考え方をするのは思考感覚がタイ人化してペイペンライになってきたためかもしれない。とにかく、交換すべき部品は交換すべきで、学校へ送り届けたその足で、昨日の整備工場へ入れる。
朝早くから工場は開いており、工員たちが揃うのを待って部品交換に当たってもらう。スパークプラグの交換が一番手間取ったようだ。特にエアコンのコンプレッサーがあるため、プラグレンチが入らずに苦心していた。そんな整備しづらい所にコンプレッサーをつけてしまうなど如何にもタイらしい。
工員たちが油だらけになっている間に、工場内を見学する。工場内には整備中の欧州車たちがいた。見た中で一番古いのはオペルのレコードというまるで黒いダルマのようなセダンであった。それとクリーム色に塗られた巨大なベンツが目を引いた。あと、VWでもシルバーグレーのスポーツタイプのクーペは内外装ともピカピカに磨かれていた。ポルシェもいたし、工場内は博物館のようでもあった。こんど時間を見てチェンマイの旧車たちの写真を撮って来ようかと思う。そのうちにチェンマイ・旧車ウォッチングツアーなども企画したら面白いかもしれない。
9時半には作業が終わり、そのままYMCAへ行って英語のレッスンを受ける。最近顔を見せていなかったアーチットやガイが来ていた。久しぶりに賑やかな授業となった。そして来週にはまた終了テストがあるそうだ。ちょうど東京へ行く直前に受験できそうで助かった。この英語のレッスンは、テキストそのものがタイの小学生向けにできていることもあり、優しいのではあるが、タイ語のレッスンよりタイ語の勉強になりそうだ。先生はネイティブでタイ語を話してくれるので、タイ語のリズム感が身につく。そしてクラスメートは皆タイ人だから、タイ語の会話の練習にも事欠かない。一方タイ語のレッスンは文法や単語を教えてくれるが、生徒の口にするタイ語は発音が曖昧だし、リズム感もない。変な話だが、文法と単語以外、特に会話に関しては英語のレッスンのほうが断然タイ語の練習になる。もちろん英語の復習にもなる。
アパートへもどりタイの即席麺を茹でて食べる。今日は汁ビーフンで、スープがピンク色をしている。よくクーポン食堂やクオッティオうどん屋でこの種のピンク色のを食べているのを見かけてきたが、どんな味かもわからなければ、名前もわからず食べる機会がなかったが、インスタントでもピンク色のものがあることを知り、まずはインスタントで挑戦してみる事にした。で、味のほうは、、、酸っぱかった。ピンク色の液体の成分には酢が相当量含まれているようだ。トムヤムのレモングラスやマナオの酸味ではなく、酢の味である。そしてほんのりと甘く感じる。初めて食べた感想としては、「こんなもんか」と言ったところであった。
クオッティオうどんのスープには大きく分けて3種類あるようだ。一般的な薄茶色のスープは鶏がらスープのようだし、先のピンクのスープは酸っぱいし、ナムトックと呼ばれるスープは黒く濁っている。たぶん肉をこってり煮込んだスープなのだろう。スープ自体のコクがすごい。
午後、優泰とお母さんを学校に迎えに行く際に、昨日時間がなくてパスした運動場前の自動車部品屋で窓開閉用のハンドルを付けてもらう。形は運転席側と異なるが、大きくて丈夫そうなものを着けてもらう。工賃込みで60バーツと工員が言い、支払うと奥で女主人が「80バーツって言わにきゃだめだよ」と言っている声が聞こえたが、すでに60バーツで領収書が手渡された後であった。
学校から帰った優泰のところへ学校のクラスメートであるジェームスとそのお母さんが訪ねて来た。私は部屋の中の人口密度が高くなっている間、銀行へ行って両替をして来ることにした。バンコク銀行と軍人銀行の2行の両替率をチェックしたが、米ドル、円ともに軍人銀行のほうが若干良かった。今日は今月の生活費用に10万円と、アパートの家賃用に300ドルを両替する。生活費の10万円分のバーツ貨はそのままお母さんに手渡し、300ドル分はすぐさまアパートの事務室へ行って家賃と光熱費の支払いに当てる。洗濯機を買ったためだろうと思われるが、先月分の水道料金がずいぶんと跳ねあがっていた。
お金に関する手続きを終えて部屋へ戻るとジェームスたちはちょうど帰るところであった。1時間ほどの訪問と短かったが、宿題をしなくてはならない優泰としては、仕方のないところであろう。
優泰は宿題を5時過ぎに終えて、眠たいといって眠ってしまった。そして夕食の時間になっても起き出さず、夕食は私とお母さん2人だけで済ますことにした。お母さんは1階の簡易食堂からシイタケチャーハンの出前をとり、私は昨夜おなじアパートに住むタイ女性のOさんが作ったと言って持ってきてくれたカレーを食べる。カレーは日本のカレーとタイのカレーの中間のようで、ジャガイモがたっぷり入っていた。辛味やカレーの風味は薄く、汁はサラサラしているから、中間よりもタイ側に寄っているかもしれない。お母さんにもせっかく作ってきてくれたのだから、味見位するように言ったが、まるで受けつけようとしなかった。お母さんも食べつけないものには頑として拒絶反応をするタイプだ。優泰が食卓にいないので、静かな夕食で、NHKのニュースを見て、9時半には寝てしまった。