旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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5月6日 月曜日    天気は晴れ  

 メーホンソンは山の中の町であり、夜は結構冷えこむ。それにもかかわらずお母さんは暑いと言ってエアコンを点けっぱなしにした。そしてやっぱり寒いのかタオルケットを一人でぐるぐる巻きにして眠っていた。おかげで私は何もかける物もなく、寒くて眠れないし、寝冷えもしてしまった。さらに明け方前になって優泰が二晩続けて盛大なオネショをしてくれた。優泰はベッドが濡れて気持ちが悪いと、私たちのシングルベッドもぐりこんできた。そのため私は寝る場所を失う羽目になった。

 朝は早く起きてメーホンソンの町を一望できる丘の上の寺院へ登ろうと約束したのに、優泰とお母さんが起き出してきたのは8時半過ぎであった。それからオネショの後始末をしたりして、寺院へ向けて登り始めたのはもう10時近くになっていた。タイでは山登りなどは朝早いうちに限る。日が高くなってからでは、暑くてとても登れたものではない。
 それでも、何とか寺院まで登る。参道の途中にプロペラのような葉っぱのついた木の実が沢山落ちていた。この実を空中へ放り投げると、ヘリコプターの回転翼か竹とんぼのようにクルクルと回転しながら落ちてくる。これが面白いのか、優泰は盛んに木の実を拾っては空に向かって放り投げている。この投げ方にもコツがあり、上手く投げるとブーメランのようにプロペラを回転させながら戻って来るのである。この技はまだ優泰には会得できないようだ。

 寺院からの眺めはなかなか良かった。ビルマ人やスペイン人の観光客(?)のグループも来ていた。下界には火焔樹の赤やゴールデンシャワーの黄色が散らばって見える。早朝だと雲が立ち上っていくのが見えるそうだが、もうそんな時間ではない。山の稜線もくっきりと見える。小さなメーホンソンの町に不釣合いなほど大きな飛行場の滑走路が伸びているのが、ちょっと場違いな感じがする。優泰に1回5バーツの双眼鏡を借りてやったが、ちゃんと下界の景色を楽しんでいるかと思ったら、すぐ10メートルほどのところを覗いては「すごく大きく見える」などとはしゃいでいる。

 メーホンソンを出発したのは正午になってからであった。私は昨夜の寝冷えと睡眠不足で体調がすこぶる悪い。これではとても昨日の峠道をひき返していくのは困難だと判断し、距離は長いが南回りのルートを行くことにした。メーホンソンの町を出てすぐに優泰とお母さんはお昼寝タイムとなった。私も眠くなってくるので、スナック菓子でも摘みながら行こうかと思ったら、スナック類はすべて優泰に食べ尽くされていた。スルメはお母さんに食べられて何も残っていなかった。しかし、眠いなどと言っていられるのは、メーホンソンを出て少しだけで、すぐに峠道の連続になった。昨日のルートが南アルプススーパー林道並とすれば、今日のルートは日光いろは坂であろうか、よい道には違いないが、運転には気と体力を使う。

 朝食が遅かったので昼食はメーサリアンと言うメーホンソン県南部の町で昼食を食べる事にした。時刻は3時。町の中心部の交差点に面したリバーサイド(但し、川まではあと1キロはある)と言うやはり西洋人ばかりの食堂に入った。メニューも英語だし、ちっとも期待していなかったが、旨かった。私はクオッティオシンガポールと言うクオッティオうどんをカレー炒めしたものを注文。お母さんは挽肉のバジル炒めライス、優泰は卵焼き載せご飯。どれもなかなか良い味を出していた。私はホットコーヒーも一杯飲んだ。インスタントコーヒーだった。

 4時にメーサリアンを出発。更にホートと言う町までの100キロほどは峠道の連続であった。ホートの手前にはオプルアンと言う渓谷があった。私が持ってきた写真が綺麗な英語のガイドブックには「タイのグランドキャニオン」と呼ばれている、、と説明があったが、わざわざこう書くのは、きっとこの筆者のイヤミだろうか、、。確かにタイの人たちはかなり誇張して表現するのが好きだが、そんなのどこの国だって同じはず。日本にだって「東洋のナイヤガラ」がいったいいくつあることか! でも、やっぱりグランドキャニオンは大げさ過ぎかもしれない。石灰質の岩肌が露出していたり、庭石に良さそうな大きな石がゴロゴロしているところとを勘案すると、「タイの昇仙峡」くらいなら良さそうだ。観光名所にもなっているようで、駐車場を備えた休憩所もあった。

 ホートからは平坦な道となったが、日も少し暮れてきた。チェンマイまであと90キロ。チョムトンから先は4車線工事区間が多く、しばしば徐行しなくてはならなかったが、7時半にはチェンマイ市内に入った。晩ご飯にお母さんが毎日タイ料理ばかり食べて嫌になったから、今晩はピザハットに行って食事をしたいと言う。毎日1食しかタイ料理を食べてないはずだが、お母さんがそういうならし方がない、、。優泰は喜んだが、私はとても寂しい夕食に感じた。私が食べたのは直径20センチほどのベジタリアンピザを6枚に切ったうちの3切れだけ。私はこうしたピザ屋とかハンバーガー屋での食事が嫌いである。特にタイでは大嫌いだ。付録のオモチャで子供を釣ろうとしているし、第一味気ない。そのくせ、料金は高級レストラン並である。今晩だって私は何も飲み物も注文していないにもかかわらず、会計は250バーツであった。私はアパートにもどってひとりタイの即席麺をすすった。

 

朝食

メーホンソンの池に面した観光レストランで優泰とお母さんはハムとチーズのンサンドウィッチを注文(1人前2切れ70バーツ)。私は青唐辛子炒めライス。青唐辛子の代わりにピーマンが使われていたのは外国人観光客向けか?(30バーツ)

昼食
私はクオッティオ焼きうどんシンガポール風、お母さんは挽肉のバジル炒めライス、優泰は挽肉入り卵焼き(カイチアウ)のせご飯。
夕食

パイナップルとタマネギ、ピーマンがトッピングされたミディアムサイズのベジタブルピザと優泰は小さなクリームソーススパゲティー。お母さんと優泰はダイエットペプシ。寂しい夕食で、懐も寂しくなった。

メーホンソンでの写真

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(2015年5月からのブログ)

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