旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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8月6日 水曜日    天気は晴れ

 なぜなんだ!と、叫びたくなるくらいの晴天である。本来なら雨季も本番、空には今にも降りだしそうなドンよりとした雨雲が厚く覆っていていいはずなのに、もう3日以上もカンカン照りの太陽が照り付けている。これじゃ日本の8月と同じじゃないか!雨季が好きな私としては実に不愉快である。涼しいチェンマイの8月はどこへ行ってしまったんだ!

 朝一番に昨晩夕食をご一緒したTさん夫妻をイミグレーションへ案内する。明後日には急遽日本へ一時帰国しなくてはならないそうなのだが、まだタイへの再入国許可を取られていなかったので、朝一番のイミグレーション出頭となった。9時前に行ったこともあり、イミグレーションは空いていた。手続きは簡単に終わり、9時半には無事に再入国許可が下りた。これで安心して日本へ一時帰国してもらえる。
 イミグレーションには今月下旬からの各種手続き料金の変更値段表が出ていた。とんでもない値上げである。私たちの生活に直接かかわってくるものでは、滞在許可の延長が500バーツから1900バーツに、再入国許可(数次)も1000バーツから3800バーツと4倍近い値上げである。我が家のように家族で滞在しているものには、死活問題にも等しいくらいに家計を直撃してくれる。今回の値上げの目的は、不正な長期滞在者の一掃を目的としたものだそうだが、タイではこのように、悪を排除するために、善もろとも排除してしまうと言う方法がしばしば用いられる。それと、最近急増しているリタイヤ長期滞在者が、当初タイが考えていたような先進国から富裕層がお金を持ってタイへ住み着き、タイ経済に貢献すると言ったシナリオとは裏腹に、物価の安いタイで年金生活をしようと言う、富裕層ではない人たちが多くなってしまったことも、値上げの背景にあるのではないだろうか。本来なら、審査を厳格にすればよいのだろうが、そこは一部の違法代理店の暗躍で、不正ビザの発給や出入国スタンプが堂々とまかり通っていて、イタチごっこになってしまうから、このような荒療治も必要なのだろう。理解はできるが、やはり痛い。

 10時から、Oさんと優泰とでランパーンへ遊びに行く。Oさんはもうしょっちゅうタイに来ているが、チェンマイからほとんど足を伸ばしたことが無い。そこで北タイの代表的な町の1つであるランパーンを案内してみる。ランパーンに行けば花馬車もあるし、それなりに観光要素もありそうである。ランパーンへのハイウェイもカンカン照りでとても熱い。ビートルのスピードを抑え目にしないとエンジンがオーバーヒートしてしまいそうである。照りつける太陽に焼かれた車体のためエアコンもほとんど効き目が無い。あえぎながらに峠を越えてランパーンの市内に入った後、一目散にエアコンの効いていそうなホテルのレストランに飛び込んだ。中国系や西洋人の団体観光客が何組も入ってバイキングの食事中である。二年前にもこのレストランを利用したことがあったが、その時と比べると料理がひどくみすぼらしくなっている。料理はもはやインターナショナルバイキングと呼べるようなものではなく、ほとんどタイ料理一色で、しかも種類も少ない。小さなステージでは女性歌手がシンセサイザーの演奏にあわせて中国語の歌を歌い、中国人グループが食事を終えて席を立つと、日本語らしい歌を歌い始めた。
 昼食後に、ホテル近くに待機している馬車に乗ろうと思っていたが、1日でもっとも暑い日盛りの午後、エアコンもなく、馬の体臭も臭いたつ馬車に乗る勇気がうせ始め、レストランのイスから腰を上げるのに、時間を要した。派手な色に塗られ、造花の花で飾られた馬車だが、自分たちが乗りたい馬車を指定することができないシステムらしく、駅前のタクシー乗り場同様、先頭のヒマワリの造花が馬車の左右に一本ずつ飾られた地味な馬車に乗り込まなくてはならなかった。

 ランパン市内ではエメラルド寺院と、バンサオナックと言う古い民家を見学した。以前ここのエメラルド寺院に来た時は、境内にいくつものレプリカのエメラルド色した仏像が飾られていたが、今回は見かけなかった。前回は、こんなにエメラルド仏があると有り難味が失せるなぁと感じたものだが、見当たらないのも寂しいものだ。
 案の定、馬車はとんでもなく暑かった。バンサオナックに到着した段階で、もう見学する体力も無くなり、建物内の応接セットに座り込んでしまった。セットのテーブルには写真アルバムか置かれていたので手にとって見てみると、この古い民家を使った結婚式の様子を写した写真が貼ってある。しかも、昔のセピア色した写真ではなく、極最近のカラー写真で、よくよく見ると新郎は日本人らしい。「らしい」ではなく、装飾された壁に書かれた新郎新婦の名前は、新婦はタイ人の名前だが、新郎はタイ文字でこそ書かれているが、発音してみると日本男児の名前であった。驚きである。こんなところで結婚式を挙げる日本人もいたとは、、。が、驚くのは、このカップルだけではなく、ページをめくっていくと、更に別の日本人とタイ人のカップルも登場してきた。売店のおばさんに確認すると、このようなケースはしばしばあるのだそうだ。

 馬車出発地点のホテルに帰り着いたのは、3時過ぎであった。馬車とは1時間300バーツの契約で乗っていたのだが、のんびりしすぎたために2時間も拘束してしまった。が、御者のおじさんは500バーツ札を差し出すと、200バーツの釣り札を出してきた。本当は、いくら戻してくるか、それとも「これじゃ足りん」と言ってくるかと気になったのだが、時間契約であっても、この辺の融通は利くのかも知れない。Oさんはチップを弾んだ。まだ、帰るには少し早いので、ホテルのフロントで、どこかいいところは無いかと尋ねると、「チェーホムの温泉はどうか」と言う。チェーホムまでは70キロで、車なら1時間だと言う。チェーホムまでなら以前走ったことがあったが、道が悪く1時間以上かかったような記憶があるが、きっと良くなったのだろう。

 確かに、道はよく、チェーホムの町には1時間ほど到着できたが、町のどこに温泉があるのか分からない。役場風の建物に入って確認をすると、職員らしきおばさんたちが3人ほど出てきて、温泉ならチェーソーン国立公園の中で、この先の三叉路を左に曲がって、その先をまた左で、次に右で、ここからは30キロほどの距離だと言う。なんだか、曲がるところの目印などをはっきり教えてもらえなかったので、頭の中が漠然としているのだが、ともかくチェーソーン国立公園ということだけは分かった。どうせ近くまで行けば看板くらい出ているのだろう。でも、都合ランパーンから100キロも離れたところと言うことになる。山の中を切り開いたような寂しい道を走る。民家はほとんど無いけど、道の舗装状態は悪くなく、走りやすい。もう、30キロは走ったのではないかと思われるあたりまで来たが、一向に温泉場がありそうな雰囲気がない。この先65キロにはチェンマイにちかいメーフンの集落に至ると看板が出ているが、先ほどの役場で聞いた限りでは、四輪駆動車でなくては越えられない道だとのことであった。果たして大丈夫であろうかと思った頃に、国立公園は左折3キロの立て看板が出てきた。

 温泉のある国立公園は、素晴らしく綺麗に整備されており、広い駐車場、ビジターセンター、幾棟もの建物があり、温泉が湧き出しているあたりは、岩場になっていて、日本だったらチェーソーン殺生河原とでも名付けられそうなところであった。その先に温泉浴場があって、バンガロー風の個室浴場がたくさん並んでいる。入浴料金は一人20バーツで、我々には2つの温泉浴小屋があてがわれた。小屋の内部はシンプルで、直径1メートル半ほどのタイル張りの丸い浴槽があり、内部には段差もあって腰掛けて入れる仕組みになっている。湯はすこし熱めながら、入れないことは無い。無色、無臭の温泉である。たぶん湯量が豊富だから源泉100パーセントなのだろう。実に気持ちがいい。シャワーは水しか出ないが、熱めの温泉に浸かって火照った身体に水のシャワーが気持ちいい。なかなかイイじゃないか。浴室の壁には注意書きがいくつか書かれていて、浴槽では石鹸やシャンプーを使うなとか、10分以上浸かっているなと書いてある。でも、この湯温、タイ人にはちょっと熱すぎて入浴できないだろうなぁと感じた。熱めの湯が好きな私に適温である。
 この温泉、湯から上がっても、汗がちっとも引かない。とめどなく汗が流れ出る。ここの温泉の成分は芯から体が温まるタイプのものらしい。入浴後、温泉卵を茹でて食べる。時刻は6時近くなり、すでに国立公園の閉園時刻なのか、ビジターセンターも閉まり、駐車場に止まっていた車もほとんど無くなった。もちろん我々以外に人影が無い。もうすぐ日没だし、これ以上ここに留まっていてもしかたないので、チェンマイへ向けて戻ることにした。チェンマイへの戻り道には二通りあり、同じ道を戻るか、北上してチェンライからのハイウェイに合流するかである。距離は北上ルートが近いようだが、往路と同じルートをたどることにした。

 

朝食
釜揚げうどん。
昼食
ランパーンのホテルで、バイキングの昼食。料理の種類が寂しい。
夕食

台湾小館にて餃子やジャージャー麺など。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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