7月5日 木曜日
昨夜は疲れた。今朝はゆっくり寝かせてもらって朝寝坊しようと思ったが、優泰が7時頃には起き出してきていて、リビングからゴソゴソ音が聞こえる。部屋の電灯も点けたようだ。今回日本から運んだ荷物都合約50kgの大半が優泰のおもちゃであったわけだし、早く喜ばせてあげようと、寝床から起きる。しかし、優泰が7時にひとりで起き出したのには訳があったようだ。洗面台には優泰のパジャマと下着が水に浸してある。優泰も開口一番に「もうおしっこをもらしません」などと言う、、。優泰の言っている事などハナから信用できないが、けさもオネショをもらした事は厳然とした事実のようだ。
朝食に、昨夜2人が食べ残したと言うお米少々があったので白粥を炊く。優泰はチョコレート味のコーンフレーク、お母さんはレタスとタマネギのスライスを挟んだサンドウィッチ、これは私も少しおすそ分けをいただく。
朝ご飯を食べ終わるか終わらないうちに、優泰の友達ノートが部屋へ上がり込んでくる。お母さんは今日もYMCAへ英語の勉強があるが、幼稚園などは今日から4連休である。今日は仏教に関する祭日で、優泰は昨日幼稚園でお坊さんへサイバート(托鉢僧に食べ物などを渡す事)したそうで、牛乳とお菓子をそれぞれ30パックを提供したそうだ。
メールのチェックをした後、修理に出していた車を取りに行く。中古車屋まで約2キロ半の距離があるが歩いていく。修理は綺麗に仕上がっていて、凹みも傷も残っていなかった。仕上がりには十分満足できる。帰りはビートルを運転して帰る。
アパートへ戻ると、優泰とノートは階下のレンガを積み木代わりに遊んでいたが、私と一緒に部屋へ入り、再び部屋の中で遊びだした。お母さんはYMCAへ勉強に行っていた。
自転車に日本で買った自転車用のロックを取り付けることにする。しかし、日本とは自転車の規格がだいぶ異なる様で、フロントフォークが太すぎて、ロックの固定部が取りつけられない。仕方なくリアフォークがフロントより細かったので、リアフォークへ取りつける。
正午直前にYMCAへ自転車でお母さんを迎えに行き、昼食にいつもの小屋がけ食堂でホカ弁風のオカズ載せご飯をふたつ買い、優泰とお母さんと3人で食べる。ノートはさっき昼食を済ませたとかで食べない。
午後、月末の飛行機の予約を変更依頼しに旅行代理店へ自転車で向かう。現在の予定は月末にソウルと東京を周る予約になっているが、これをソウルだけの単純往復に変更したいと考えている。東京へは日本航空のマイルサービスの利用期限がもう時期切れるので、失効する前にこのマイルをつかってソウルと東京を往復しようと考えているわけだ。しかし、生憎、現在のところ希望の便は満席となってしまっていた。とりあえずウエイティングリストにだけは載せておいてもらう。昨夜も悪運強く飛行機に乗れたし、今回も楽観して待つ事にする。
私が東京へ行っている間に洗濯屋さんからもらって来た熱帯魚(グッピーのような魚)は洗面器に入れられて買われていたが、これではちょっと魚たちとしても居住環境が悪すぎるので、小魚が帰るような陶器の甕(かめ)を買いに出る。ビートルを出してノートも加えて4人で出かける。十分満足できるものは見つからなかったが、適当なサイズの素焼きの甕を85バーツで買ってくる。
甕も用意したが、まだ住宅公団の新築団地並の環境で、例えて言えばお風呂も家具も何も無いただのガランドウの状態で、せめて水草くらいは浮かべてあげたいと思う。そこで再び自転車に乗換えて水草を採取に行く。チェンマイの城壁沿いの堀割の水は浮き草がびっしりと浮いていて、水面が見えないほどだった様な気がしたが、いざ掘割に着いてみると浮き草などぜんぜん浮いていない。濁った水面は濃緑色をしているだけであった。続いて、スアンドーク寺院の裏にある沼では、間違えなく浮き草が浮いており、大きな亀が悠々と泳いでいた事を思い出したので、スアンドーク寺院までまた自転車をこぐ。が、ここの沼もなぜか水草はおろか木の葉すら浮いていない状態であった。きっと仏教の祭日に合わせてきれいにしてしまったのだろう。結局汗だけかいて、手ぶらで戻ることとなってしまった。
夕食には3人でコカレストランへ行ってタイスキ鍋を囲む。トートマンプラーというタイ風のさつま揚げも注文しビールのつまみとする。最近はこの店のラーさんは店員の仕切り役が忙しいのか、なかなか席に立ち寄ってくれず、メコンウイスキーのソーダ・リポビタン割りを作ってもらえない。今晩もたった2杯しか作ってもらえなかった。彼女の作ってくれるメコンは最高の味なのに、、、。
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