8月5日 月曜日    天気は朝方は雨、昼頃より晴れ 

 今日はTPNさんと別行動である。TPNさんはラオスへ渡ってタイのビザを取って来ることになっていてる。事前に入手した情報では、ラオスの首都ビエンチャンにあるタイ領事館ではツーリストビザでもダブルエントリーを発給しているらしい。私の知り合いもビエンチャンでダブルエントリーを取ってきた。さらに、裏情報として、追加手数料でビザの当日発給も可能だそうだ。この辺のことは泊まっているホテルのタイビザ取得ツアー案内にも書かれており、そこには「ビエンチャンへの日帰りツアーでダブルエントリーのビザが取れる」と書かれていた。

 TPNさんをタイ・ラオス国境の橋のたもとまで送って別れる。と言っても、早ければ今日の午後には再会する事になるのだろうが、、。その後、1人になった私はノンカイ市内の市場を見学する。タイの田舎ならどこにでもあるような市場であったが、ひとつだけ違うのはフランスパンを売る屋台があった事だ。朝食をまだ食べていなかったので喜んでフランスパンを買う。また別の屋台でアイスコーヒーも買い込む。
 メコン川の辺に出て待望のフランスパンをかじる。ノンカイの町はラオスの首都ビエンチャンの町の入り口にあたり、ラオスとの交流も深いのだろう。そしてラオスは長い事フランスの植民地下にあり、以前私がラオスを訪問した時には、ホテルの中国系ボーイさんがフランスパンを刻んで丼に入れ、チーズをオカズに箸で食べいてるのを目撃している。ラオスでパンと言えばフランスパンなのである。そんな関係からここの市場にもフランスパンが売られているのだろうと一方的に解釈したが、、、一口かじってみて、歯ざわりかブニャであり、味は少し甘いのである。フランスパンならほんのりと塩味がするはずなのに、塩の代わりに砂糖が入っている。キツネ色の皮もパリッとせず柔らかである。メコンの川は、塩を砂糖に置き換えるほどの力を持っていた。

 11時前にTPNさんから電話が入る「ビザはダブルエントリーも当日発給も認められなかった」そうである。シングルのビザが明日の午後にできるそうで、今晩はビエンチャン泊まりになるらしい。残念な事だ。
 しからば、私も時間がたっぷりあるので、パンチェン遺跡を見に行く事にする。バンチェン遺跡はタイでは知らない人がないほどの「古代文明遺跡」とされており、発見されたのは今から35年ほど前。タイでは今から5000年以上昔の、世界最古の文明のひとつとされている。さらに、どのような手続きをしたのか知らないが、ユネスコの世界遺産にも指定されている。が、「5000年前から紀元3世紀頃まで栄えた文明」が定説となっているが、どうも良く調べると、紀元前の遺跡ではなさそうなのである。その真偽を確かめたいと単身バンチェンへ向かった。

 バンチェンは町とは呼べないような小さな村であった。2階建ての小さな博物館があり、展示品と英語の解説があった。解説によると紀元前9世紀には鉄器を作って使用しており、農機具や矢尻に使っていたそうだ。また同じ頃にはガラスを加工できるようになっていて、ビーズなどを装飾品として使っていたと書かれていた。これら「鉄やガラスの技術は中国やインドからもたらされたものではなく、長いバンチェンの歴史が培ったもので、オリジナルの技術であり、その技術はつい最近までバンチェン村でも鍛冶屋でおこなわれていたものである」と結論付けられていた。

 バンチェンの出土品で特に有名なのは彩色土器である。白地に赤い線で渦巻き模様が描かれているデザインである。生活に使われる土器と死者と一緒に埋葬するのに使う土器の2種類があるそうだ。展示品にはそれが本物かレプリカであるかの説明がされていないのだが、見た感じではほとんどがレプリカの様で、色彩が鮮やか過ぎる。それにヒビも入っていなければ、縁も欠けていない。まぁどのような模様であったのかは、このようなモノの方が良くわかって良いのだろう。そして、土器の壷類はとても大きい。一抱え以上もあるようなものもある。これらが本当に何千年も前に作られたとしたら、相当高度な技術をもった人たちがいた事になる。

 博物館側のバンチェン文明に関する結論で「世界の古代文明はエジプトにしろ、黄河文明、インダス文明、メソポタミヤ文明ても、全て大河の辺に栄えた文明であるのに対して、バンチェンは東南アジアの内陸にあり、内陸でも古代文明が発祥したことが確認され、古代文明研究に革命を起こした」となっていた。

 で、私の素人が見た結論。たぶん、古代バンチェンは数千年もの長い期間に栄えた文明ではなかったと思われる。理由として、鉄器が農具などとして出土しており、青銅器も装飾品として出土している。しかし、もし鉄器が使用される以前にも高度の文明があったとすれば、青銅器の武器なども出土して良いはずだと思う。人骨は現在のタイ人とは異なるのだろうが、骨格から見て身長が170センチ以上あり、足が長かったと言う。タイの先住民とされるモン族とも異なるのだろう。インドの系の人たちだったのかも知れない。

 それでも、私はこの土地で現在とは異なる民族が生活して、かなり高度な文明を持っていた事には感動した。それがどれほど古いとか、比較的新しいとかそんな問題ではなく、確実に人間の生活があった事を理解しただけで満足であった。それに土器の模様は現代にも通用するデザインであった。

 古代バンチェンは紀元3世紀に消えてしまい。その後、18世紀にラオスから来た人々によって新しく村が作られたそうだ。バン(Baan)とはタイ語で家を示すが、集落と言う意味もあるのだろう。そしてチェンとはチェンマイのチェンと同じで要塞風の都市のことである。いま村では、土器の模様を使った織物や土器のレプリカを作って販売している。これもひとつの村おこしなのだろう。博物館の入り口には秋篠宮殿下夫妻の写真が飾られていた。

 村の寺院境内には野外博物館(吹きさらしながら屋根は一応ある)として遺跡の発掘現場が再現(実物だったかもしれない)されていた。そこには1メートルから2メートルほど掘り下げたところに、沢山の埋葬された人骨や割れた土器が置かれていた。広さは10メートル四方くらいだろうか、こんな狭いところに何体も埋葬されていたとは、、。やはり、数千年の繁栄は考えにくい。

 今晩はウドンタニのバスターミナル近くの宿に泊まる。受付にいた女の子は頬杖をついたまま、部屋の説明をし、部屋まで案内する係りの兄ちゃんは顎でしゃくって「ついて来い」と合図する。あまり感じの良い宿ではないが、1泊140バーツの値段なら、文句も言えまい。一晩だけだから、、、。バンコクの新華南峰旅社よりかは、マシなような気もする。

朝食

ノンカイの市場でアイスコーヒーとフランスパンを買って、メコン川を眺めながら食べる。

昼食
バンチェンの市場前の簡易食堂で五目野菜炒め卵焼き付きライスを食べる。
夕食

あまり食欲もなく、鶏肉入りのバミー(中華麺)を食べる。ところがこれが結構美味しい。野菜も好きなだけ入れられて嬉しい。ちょっと高くて25バーツ。でも、満足。

 

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