旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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11月4日 月曜日    天気は小雨 

 ようやく雨も上がったようだが肌寒い。今まで一度行って確かめてみようと思っていた計画を実行に移す。チャーンプアクバスターミナルから出ているバスで、もっとも不便なところへ行くと思われる路線に乗ってみよう。この路線は2314番の路線で、168キロの路線を6時間かけて運行することになっており、便数も1日たったの3便だけである。また、以前調べた限りでは、運行しているバスは2トン積みクラスのトラック改造車であった。

 始発バスは午前8時なので5分前に自転車でチャーンプアクバスターミナルへ乗り付ける。バスはやはりトラック改造車であった。乗客はほぼ満員で、オートバイまで持ち込んでいる人がいる。さすがにローカルバスだ。乗客の身なりもチェンマイの人とはだいぶ違う。山岳民の民族衣装を着ている人もいるが、明らかに古着だと分かるような服を着ている人も多いし、中国の人民軍が来ていそうなカーキ色の上着を着ている人も多い。都会的な出で立ちの人など一人もいない。もっとも、今朝はやたらと寒いので、持ち合わせの服をみんな着込んだらこんなに野暮ったくなっただけなのかもしれないが、、。乗客たちの多くがニンニクを朝から食べてきたのか、常食しているためか、口臭がやたらと臭いのにはちょっと閉口した。
 車内は満席で私はようやく板を渡しただけの腰掛に座れたが、それでも後から後から乗車希望者がやってくる。デッキにもすでに鈴なりだ。この路線は途中のチェンダーオまではファーン街道を北上し、この街道には大型バスが頻繁に走っているのだから、そこまでの人はこんな乗り心地が悪そうで、満員のバスに乗っていくはずがない。みんなその先に行く人たちなのだろう、長旅になるのに、デッキにぶら下がってではさぞ辛かろうと思っていたら、そのデッキすらも一杯になってしまった。すでに出発時刻が過ぎているが、発車することもできず、しばらくしてもう一台バス(トラック)を出すこととなって、何とか全員収容することができた。

 チェンダーオまではやはり降りる人はおらず、時折道端から新しい乗客を拾っていくだけだ。チェンダーオの先でファーン街道と分かれるあたりで休憩となった。みんなぞろぞろと降りて周囲にたった一軒しかないクオッティオうどん屋に吸い込まれていく。私も皆にしたがってクオッティオうどんを注文。まだ時刻は10時にしかなっておらず、昼食にはまだ早いが、こうしてみんな食べているところを見ると、今食べておかないと、当面食事にはありつけないということなのだろう。

 休憩の後国道1178号線に入り、しばらく走るとワットチェンマンと言うお寺近くの集落で停車。先ほどの休憩から10ほどしか走っていないのだが、みんなぞろぞろと降りる。食事休憩ではなく、買い物時間らしい。吸い込まれていく先も雑貨屋である。菓子の袋やインスタントラーメンを買い込んだ乗客が戻って間も無く出発。と、また10分ほどで停車。更に奥へ入る国道1322号線の入り口である。こちらはどうやら検問らしい。
 この国道1322号線に入ってからが本格的な山岳道路となった。バスはあえぎながら山道を登り、また下り、また登りを繰り返す。沿道には黄色い花があちこちで群生している。たぶんブアトーンと言う花だろう。11月になるとメーホンソン県を中心とした山々を彩る花として知られ、私も近くメーホンソンへその大群生を見に行きたいと思っていたのだが、こんなところでお目にかかってしまった。この黄色い花は、花びらから何から小ぶりのヒマワリそっくりである。英語でワイルドサンフラワーと言うらしいのだが、まさにそんな感じだ。特にゴッホの絵にあるようなヒマワリに良く似ている。しかし、よくよく見てみると、私たちが日本で見ているヒマワリとは決定的に違う。花さえ見なければ、麻にそっくりである。きっと植性的には麻の仲間なのかもしれない。とするとゴッホのヒマワリも本当のヒマワリだったのであろうか?疑問が沸いてきた。
 正午頃、まっすぐに高くそそり立つ松の森を抜けたところで山の尾根に出た。急斜面には掘建て小屋のような建物がしがみ付いている。たて看板にリス族の村であることが書かれていた。この村でも小休止。すると村人たちが手に手に野菜らしきものを持ってバスを取り囲んだ。持っている野菜は2種類で、ホウレンソウとアザミの合いの子のような青菜とネギの出来損ないのような野菜である。また、栗に似た丸い木の実も袋に詰めて売っている。良く売れているところをこのあたりの名物なのだろう。が、売り子の中の老婆は、まるで生肉を今食べてきたばかりのような口元であった。多分キンマかビンローでもかじっていているのだろう。昔の東南アジアでは良く見かけたのだが、最近のタイではビンローなどを噛んで赤い唾を吐いている人などをほとんど見かけたことがない。
 とても寒い。吐く息が真っ白である。気温は10度を下回っているのだろう。トラック改造なのであちこちから風邪が吹き込んでくるので寒くて堪らない。長袖を着てきたのだが、サンダル履きなので足から寒さが這い登ってくる。

 1時近くになってウィアンヘンと言う村に到着。この村に入るときのシーンは劇的であった。それまでものすごい山道で、深い森の中をひたすら走っていたかと思ったら、突然田んぼの真中に出てしまい、のどかな田園風景となった。後ろさえ振り返らなければ今まで山の中を走っていたことが信じられないくらいだ。村の入り口で検問がある。こんどの検問はちょっと厳しい。乗客には身分証の提示を求めている。私は早速先日ラジオ局でもらった身分証を提示たしたが、英語で書かれているためか、検問の係り(野戦警察官風)は珍しげに眺めるだけであった。やはりタイ語で書かれていないと、いくら公の機関が発給したものでも、タイ国内では箔が付かないようだ。一方、他の乗客たちはと見ると、タイの身分証を提示しているものがほとんどない。提示しているのはA4サイズの書類である。じっくり見たわけではないので断定はできないが、これが話に聞いていた居留証明書らしい。居留証明と言うのは、国境周辺にいる山岳民などはタイ国籍になっておらず、そのため身分証を持っていない。国籍はないのだが、その代わり居留証明が発給されてタイ国内での居住が認められていると聞いたことがある。これはきっとその書類なのだろう。

 ピアンルアンの村の入り口でも再度検問があった。そして終着地点には1時半に到着。このさき4キロのところにランテンと言う集落があり、そこまで道は続いているらしいのだが、バスはここまでとの事。バスの折り返し所で戻りのバスの時間を確認すると2時にワゴン車のバスがあると書かれている。はるばる来てはみたものの、何があるわけではない小さな集落。30分もあれば一回りできそうなので、2時までに戻ってくることにして集落を歩いてみる。どんな集落か、、。タイの田舎とはどこか違う。家の作りも土間の家が多い。木造のワットピアンルアンと言う寺院があったが、寺院の作りはビルマのシャン州風である。小腹が空いたし、何か食べたい。小さく薄暗い食堂が何軒かあるが、やはりタイらしくない。作り置きの惣菜を並べているわけでなし、壁にメニューを張り出しているわけでもない。何を食べさせるのか見当もつかないので、飛び込むのに躊躇する。それに30分の短い時間なので、食事に使うのはもったいない。

 2時にバスの折り返し地点へ戻り、さてワゴンのバスは?と見まわすが、ワゴンなど止まっていない。トラックバスと中型バスだけである。雑貨を売っているおばさんに2時のバスはどこかと聞いたら、今日は走らないという。運休かと問いただしたら、11月7日からの運行だと言う。なるほど降り返し場の時刻表を再確認したら「11月7日からワゴン車運行」と書かれていた。次のバスは3時で、まだ1時間ある。どこか見所はないか聞くと山の寺が良いという。その寺はチェンマイのドイステープのような寺だと言う。せっかく来たのだし、この辺境ピアンヘン村一番の名所を見てやろうと山に向かって歩く。村の中の道を歩いていると矢印があり、ワットプラタートセンカウ(直訳するとセンカウ仏舎利寺院)へは2.8キロと書かれていた。これではとても1時間で往復できない。困ったなぁと思っていたら、さっき歩いたときに市場前にオートバイタクシーらしいのが数台たむろしていたことを思い出した。

 「国語は話せるか?」とバイクタクシーの兄さんが中国語で聞いてきた。国語とは中国語のことである。「少しなら」と答え、「山の上の寺まで行って、3時にはバスに乗ってチェンマイへ戻りたいのだが」と言う事を中国語で説明。「可以(OK)」とのことで、運賃は往復60バーツと言うことになった。はじめはちょっと高いかなと思ったが、バイクの後部座席に乗って、山に寺院に向かっていたらば、その道がとんでもない道であることに気がついた。旧勾配の道で、しかも泥道である。バイクは後輪を空回りさせたり、左右に大きく降れながら登っていく。後部座席にしがみ付いているのだが、いつ転倒するか気が気ではない。
 山頂の寺院はドイステープとは比べ物にならない小さなものであった。白い仏舎利の四面に仏像を配しただけで、本堂と呼べるようなものも大した物ではない。山頂ではあるが木々に覆われ見晴らしも効かない。が、寺院内の掲示物など書かれている文字がすべてビルマ風文字なのである。詳しいことは分からないが、チェンマイなどでも良く見かけるランナー文字などではなく、完全なビルマ語の文字の様に見える。バイクタクシーの兄さんは自分は華僑だし、村の連中もほとんど華僑だと言う。しかし、話しているのはタイの華僑が使う潮州訛りの中国語ではなく、北京語である。文字はビルマで会話は北京語と、まったく異次元に来たようだ。

 3時発の帰りのバスはトラックではなく中型の白いバスであった。暖房こそ効かないが、風の吹きぬけと言うわけでないぶん、多少は寒さを凌げて、夜8時にチェンマイへ戻った。

朝食
ご飯に昨夜の残りの味噌汁。
昼食

チェンダオ近くでクオッティオうどん。

夕食

野菜とソーセージの炒め物、そば。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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