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2021年のクメール回廊の旅(後編)
9月19日は朝から雨模様だった。
昨晩から泊まっているこの宿、400バーツほどと破格な値段にもかかわらず朝食が付いている。
町はずれで、立地はよいとは言えないが、荷物輸送のトラック運転手や商売人らしい宿泊客が多く、昨晩は満室だったそうだ。
観光客と思しき姿は朝食会場に見当たらなかった。
朝食会場と言うのも、屋外にあり、簡単な屋根があるだけで吹きっさらしの小屋のような建物。
そこに袋に入ったままの食パン、味付けのしてある粥、野菜のスープとロンコンと言う果物が並んでいるだけ。
質素この上ないけど、私の口にはよくあって、美味しくいただく。
食べ終わりかけにリンゴを従業員が持ってきてくれたけど、これはパサパサで味もほとんどなくて、あんまり美味しくなかった。

雨の中の水牛
[宿の裏では雨の中に水牛がいた]

雨脚が強くなってきていたけれど、午前8時半にナンロンの宿を出発。
イサーンまで来たので、イサーンを代表するピマーイ遺跡にでも立ち寄ろうかと思ったけれど、同行のIさんはあまり乗り気ではないらしい。
以前にピマーイ遺跡は見に来ており、ピマーイからバンコクまでえらく遠くて時間もかかり懲りたのだそうだ。
そこで、ちょっと回り道になるけれどIさんはまだ行ったことがないので是非というロッブリ遺跡を見に行くことにする。

雨が降りしきる国道を西に向かう。
タイの天気は東から西に向かって動いていくので、どうやら私たちは雨雲を背負って西に向かっている感じになったようだ。
普通ならタイの雨など1時間もすれば止むのだけれど、ずっと降り続いている。

国道2号線と合流したシーキウの古代の石切り場にちょっと立ち寄る。
ここには広い駐車場が作られているけれど、止まっているのはパンクを修理しているピックアップトラックが一台だけ。
観光客など皆無である。
観光客はいないけれど子犬が数匹いて、やたらとじゃれついてくる。
こいつらは、捨て犬なのだろうか。
このあたりに人が住んでいる形跡はないし、子犬たちは可愛いけれど、体は汚れて汚い。
駐車場の端では、兄弟の一匹だろうか、黒い子犬が死んで、雨に打たれていた。

ロッブリーへの途中でワットゲンコイに立ち寄る。
ゲンコイにてずっと降っていた雨が止んだ。
ワットゲンコイはサラブリ県で、タイ中部平原からコラート大地へ上る入り口に位置している。
この寺にはタイへ最初の日本人移民の碑がある。
ここに立ち寄るのも何年ぶりだろうか、何年も来ていなかった。

日本人移民の碑
[ワットゲンコイにある日本人移民の碑]

最初の日本人移民は、当初バンコクで水田耕作を行おうとしたが失敗して、バンコクからイサーンへ向かう鉄道建設に従事することになったけれど、マラリアなどにより全滅したもので、その鉄道工事の拠点であったゲンコイのお寺に慰霊碑の形で碑が建てられている。
この碑の隣には、地元の華僑たちが建てたと思われる「萬人墓」と言う碑が立っており、こちらの方が大きい。
この碑は戦争中にこのゲンコイが連合軍の空襲にあって死傷者も多数出る大きな被害が出たそうで、その慰霊碑のようなものである。
戦時中はここでバンコクから首都の疎開先となるはずのペッチャブーンへ伸びる鉄道建設が行われており、その拠点だったことで空襲を受けたのだろう。
2つの慰霊碑の隣には、日本から戦時中タイへ送られ泰緬鉄道で使われた蒸気機関車のレプリカが展示されている。
隣の建物の壁にはつたない絵で、飛行機から爆弾が投下されるシーンが描かれている。
機関車にしても、絵にしても、ここゲンコイの空襲とは直接関係なく、泰緬鉄道の拠点カンチャナブリと混同されている気がするが、現代のタイの人たちのイメージからすると、先の大戦としてイメージされてしまうのはカンチャナブリの泰緬鉄道ということになってしまうのだろうか。

萬人墓とC56
[史実とか時代考証とかはあんまり重きを置かないんだろうな]

寺院境内には白くてスタイルのちょっと変わった大きな仏塔がたっている。
その横には大きなネコのオブジェ。
ちょっと造作が今一つではあるが、ネコであることで、許せてしまう。
ネコの台座にはメーオ・ナム・チョークと書かれている。
日本語にすれば幸運を招くネコということになるのだろうか。
タイでも招き猫をよく見かけるが、このオブジェは招き猫のスタイルを取っていない。
ここにこんなオブジェを置くのだから、きっとなにか謂れがありそうな気がするのだけれど、それらしき説明はどこにも書かれていないようだった。
そうしてキョロキョロしていたら小学生くらいの女の子が近付いてきて「魚のエサを買え」という。
寺の裏にゲンコイ川が流れていて、その川べりでエサをまけば魚が集まってきて食べるので、功徳が積めるというものだけれど、功徳はともかく魚のエサなど買う気もなかったので無視していたが、執拗に付きまとわれた。

幸運を招くネコ
[このネコのストーリーが知りたいな]

川側にある柵のには、サルのオブジェが並んでいた。
「見ザル」「聞カザル」「言ワザル」のポーズを取っており、日本語のごろ合わせと関係なく、この手のサルのポーズは日本もタイも共通なのだと思ったのだけれど、この柵の上に置かれたオブジェは、3つのポーズ以外にも存在しており、いったいそれは何を意味するポーズなのだろうかと疑問に感じた。

サルのオブジェ
[漫画チックな顔つきのサル]

数年間来ていないうちに寺院内には他にも新しい施設ができていた。
大きな涅槃仏を安置する仏堂があり、涅槃仏は金色で、色の禿げた部分や汚れも付いていないので、まだできたばかりなのだろうと思われる。
涅槃仏を安置するためその仏堂も涅槃仏の身長に合わせて細長い長方形のなっている。

ワットゲンコイの涅槃仏
[まだ新しいのかピカピカの涅槃仏]

また、ミャンマーのゴールデンマウンテンのレプリカのようなものもできていた。
こちらはまだ工事中で、完全に完成したわけでもないようだったけれど、工事をしていた職人風が手招きする。
ゴールデンマウンテンの岩山から巨大な蛇の頭が突き出しており、その下に洞窟のような穴が開いている。
職人はその洞窟へ入ってみろという。
職人は電気のスイッチを入れて、内部の照明を点灯してくれた。

ゴールデンロック
[隣国ミャンマーのゴールデンロックはタイ人にとっても憧れなのかも]

中には座禅を組むルシーという仙人と、その仙人を守る大蛇が天井ちかくから乗り出してきて、色付き光線の加減や大蛇の造形からなかなか迫力があり、インスタグラムなどで紹介したらタイ人が集まってきそうな気がする。
その仙人のポーズなのだけれど、座禅を組む仙人の背後から、仙人に覆い被さるように多頭の蛇(ナーガ)が守っている。
これはお釈迦様のストーリーに出てくるものとおんなじシチュエーションなので、ここにいるのは仙人ではなく、お釈迦さまではないか思えてしまうほど。

洞窟内の仙人とナーガ
[最近この手のお寺の付属施設増えてるな]

ちょうど昼時になったので、ゲンコイの街で昼にしようとなったのですが、この田舎町、小さな市場はあるものの、ちゃんとした食堂が見当たらない町。
以前にも、食堂を探して見つけられなかったことがある。
とりあえず鉄道駅まで行って、駅員にこのあたりで旨いものを食わせる食堂はないかと質問したら、交差点を左に曲がって2つ目の信号でUターンすれば、ムークローブ(揚げ豚肉)のうまい店があると教えてくれた。
その駅員は「あそこのムークローブはすごく旨いんだ」とさも自分の店のように自慢していたが、横から別の駅員が口を出し「今日は日曜だからそこ休みだろ」という。

他にもグーグルマップで調べたりしたけれど、こんな田舎町で会社などなくて、勤め人などいなさそうなのに、食堂と言う食堂が日曜で休みになっていた。
結局、道路沿いに出ていた屋台のようなヌードル屋で簡単な昼食となった。
ゲンコイの次にロッブリーへ向かう途中で
、国道1号線沿いにあるワットプラプッタバートにも立ち寄ってみる。
仏足跡寺院。
外国人観光客には知名度は高くないけれども、タイ人の間では昔から有名な寺院で、日本で言うところ江戸時代のお伊勢参りみたいなもので、一度はお参りしておきたい寺院の一つとされてきている。
それだけに国道1号線からお寺の前までの取り付け道路は幅が100メートルくらいもある立派な道になっており、やたらと豪勢。
バンコクのラチャダムナン通りを彷彿とさせるような道になっている。

外国人は要入場料
[外国人は入場料30バーツとなっているが窓口は閉まっていた]

この寺院で一番の見どころは、名前のとおり仏足跡ですが、そこは後回しにして、お寺の裏に続く山道を登って、山の上の洞窟に安置された涅槃仏のところへ向かってみます。
上り坂は途中まで階段が付いていて、そのわきには鐘が吊るされています。
鐘の大きさはまちまちなので、たぶん信者さんたちがそれぞれで寄進していったものなのでしょう。
こぶしで軽くたたきながら登ると、鐘はいい音を立てます。

裏山へ続く階段
[鐘はそれぞれ違った音色を響かせる]

やがて登り道の真ん中に立ちふさがる大きな岩の上に、大地の神様の像がありました。
タイの寺院などの壁画でよく登場する大地の神様ですが、ここの神様はインド的な衣装をまとい、お目めは少女漫画のヒロインのようです。
大地の神様以外にも、道端には信者さんから寄進された祠がいくつかありました。

大地の神
[こちらも色使いからして漫画チック]

裏山の頂上部分は岩がゴツゴツと露出しており、頂上から少し回り込むようにして下ったところに洞窟があって、涅槃仏が安置されていました。
洞窟は広くないのですが、天井部分に丸い穴が開いており、そこから光が漏れて差し込んできています。

仏足跡寺の涅槃仏
[ここまで登ってくる人は多くないみたい]

裏山から降りて、仏足跡のある礼拝堂の横に、พระป่าเลไลยก์(プラパーレーライ)、三寶公と書かれた礼拝堂があったので立ち寄ってみました。
三寶公は漢字で書かれており、日本人向けと言うより、中国語の漢字表記のようで、ここだけではなく、さっきの涅槃仏へ続く道にある祠にも中国語的な表記多数を見かけました。
この礼拝堂の中には、巨大な座っている仏像があり、座禅を組んでいるのではなく、腰かけている姿です。
この姿の仏像はタイでは水曜日午後の仏像とされているものとスタイルが似ています。
水曜日午後の仏像は、腰かけているお釈迦様の前に森の動物(ゾウとサル)が向かい合っている構図なのですが、ちょっと見たところ、ここにはゾウの置物はあるものの、サルは見あたりません。
このゾウの置物は、背中に取っ手が付いていて、指先でこのゾウを軽々と持ち上げることができたら願いが叶うというものです。
この手のゾウはピサヌローク、ワットヤイのナレースワン像前にもあります。

プラバーレーライ
[腰かけた仏像の前にゾウはいるけどハチミツを捧げるはずのサルはどこだ?]

さて、本命の仏足跡の礼拝堂です。
さすがに堂々とした立派な建物です。
外壁面もガラス片などを埋め込んだ細かな象嵌が見事です。
サムットプラカーンのムアンボーランにもこの礼拝堂のレプリカがあった気がします。

仏足跡礼拝堂の入り口
[仏足跡礼拝堂の入り口]

礼拝堂の内部も豪華で、仏足跡の置かれた上には仏塔のような天蓋があり、天蓋を支える四本の柱には、破損防止か象嵌にはめ込んだ装飾品の盗難防止のためかわからないけれど、透明なアクリル板で覆われています。
信者さんたちが次々に訪れては、風呂桶のような仏足跡に金箔を貼り付けていく。
金箔だけではなく、紙幣も投げ込まれている。
仏足跡は願掛けに拝むだけではなく、賽銭箱を兼ねているようだ。

仏足跡
[金箔を仏足跡に貼り付ける]

この礼拝堂の壁には、仏の足型もおかれており、足裏が曼荼羅となっている。
バンコク、ワットポーの涅槃仏も足裏が曼荼羅となっているけれど、さっき訪れたワットゲンコイの涅槃仏は足裏がツルリとしていた。

足型
[曼荼羅、各コマはどんな順番で並んでいるのだろうか]

礼拝堂の前には、おみくじを引いたりするスペースになっているが、そこに並べられている仏像類は、タイ仏教の仏像だけではなく、中国風の仏像に観音様や千手観音、三国志に出てきそうな人物の像、そしてヒンズー教のブラフマーやガネーシャなどの神様たちまで揃っている。
つまり拝めるものなら何でもアライゴダーイで集めているような印象を受ける。

さまざまな像
[これでマリア像とキリスト受難像があれぱ完璧かな]

本来なら最初にこの礼拝堂から回るべきなのだろうけど、最後になってしまったが、このお寺の正面から礼拝堂へと続く階段から眺めた礼拝堂の構図はなかなかのデザイン効果を狙っていることがわかる。
階段に対して礼拝堂はわざとか正面を向けておらず、少し斜に構えた感じになっている。
礼拝堂が斜になっているのではなく、ほんとうは階段が斜めに取り付けられているのかもしれないけれど、なかなかいい構図で写真映えもしそうだけれど、残念ながら青空ではなく、雨雲が垂れ込めてる。
階段を下り終えたあたりからポツポツと雨が降りだしてきた。
語後になってナンロンから付きまとわれてきた雨雲から抜け出したと思ったが、ここで雨雲に追いつかれたらしい。
ふたたび雨雲から抜け出すために西のロッブリーへ向けて急ぐことにする。

礼拝堂へと続く階段
[少し斜に構えた構図がカッコイイ]

さて、雨雲を振り切って本日の目的地であったロッブリーには午後4時に到着。
あちこち寄り道してきたので、ちょっと遅くなってしまった。
最初にロッブリーにあるクメール遺跡の代表格、ワットプラプラーンサームヨートから見学を開始しようと、近くの駐車場に車を止める。
車から降りると同時にあまり身なりの良くない女性が近付いてきて何か盛んに訴えかけている。
駐車料金の請求でもしているのかと思ったけれど、よく聞いてみると「功徳を積むためにサルのエサを買え」と言っている。
このあたりにはたくさんのサルたちが住み着いている。
コロナで観光客が減ってサルたちがエサにありつけなくなり飢えて狂暴になったと去年ニュースになっていたけれど、ここでも功徳とは関係なしでサルのエサを買う気になれない。
現在ではサルたちもちゃんとエサを与えられるようになっているらしく、エサ場にはバナナや野菜などがたくさん置かれているのが見える。
それとサルのエサなど持っていたら、エサをねだりにサルたちに囲まれてしまいそうだ。
いたずら者のサルたちに囲まれるのは、あんまり好まない。

ロッブリーのサルたち
[このクメール時代の遺跡周辺にはサルがいっぱい]

ではロッブリーの遺跡巡りを始めようかとしたとたん、またも雨雲に追い付かれてしまった。
さらにケシカランことに、ロッブリーの遺跡の入場時間は午後4時までとなっているようで、市内のどの遺跡も入り口が閉じられていた。
半年前に来た時も、朝の入場開始時間よりも早く着てしまって、8時半まで待たされた経験をしているけれど、閉まる時間も早すぎるようだ。
ロッブリーにはクメール時代のものから、アユタヤ時代、とくにアユタヤがもっとも繁栄していたナライ王の時代の建造物が多く、見どころの多いのだけれど、アユタヤ遺跡やスコータイ遺跡と比べると、観光客を誘致しようという意気込みを感じない。

コロナの規制が緩和され始めたためか、バンコクへ戻る日曜夕方のハイウェイは交通量が多めで、ところどころで渋滞したりしていた。
ランシットあたりまで雨が降り続いていたけれど、ドンムアン空港あたりからはまだ雨が降っていないようで、路面が乾いていた。
スクンビット、アソークでIさんを下したのは午後7時。
Iさんからは一緒に夕食でもと声をかけられたけれど、私としては早くアパートに戻ってビールを飲みたかったので、「次の機会に」ということにさせてもらった。
バンコクではまだ飲食店内でのビールが禁止されている。

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2021年のクメール回廊の旅(前編)
9月になっても、バンコクはじめあちらこちらとタイ国内を走り回る生活が続く。
そんななかで、9月18日から19日の一泊でブリラム県のパノムルン遺跡までドライブ旅行してきた。

パノムルン遺跡には過去に何度も訪れているけれど、タイの遺跡の中では一番のお勧めだと思っている。
修復と保存状態も良いし、スタイルも良い。
丘の上に聳えて、迫力もある。
それと3年間ピサヌロークに住み着いてスコータイの遺跡を身近に感じてきたので、以前よりは遺跡や歴史に関して知識も得て、スコータイとクメールの遺跡を比較して眺めてみたいという気にもなっていた。

しかし、私の財政事情はあまり良くないので、車で一人旅となると、ガソリン代が気になってくる。
そこで今回もバンコクのIさんを誘いだして、ガソリン代を折半と言うことにさせてもらった。

今回のルートは、バンコクを出発して、東に向かいチャチュンサオからサケオを抜けて、カンボジア国境沿いにあるサドックコークトム遺跡を見てからブリラムへ入ろうというもの。

チャチュンサオなどは素通りしても良いくらいなのだけれど、日本人にはピンクのガネーシャのあるお寺として知られるワットサマンラタナラムあたりへ立ち寄った方がIさんも喜ぶだろうかと思ったが、Iさんは既に一度行ったことがあるそうで「一度行けば十分なとこだった」との感想だったので、ピンクのガネーシャには立ち寄らないことにした。
私もこの有名なインスタスポット寺院は、もともとあまり良い印象は持っていなかった。
で、その代わりとして、その先にあるワットポーバンクランへ案内してみる。

このお寺はバンパコーン川沿いにある変哲もないお寺で、日本人観光客の来るようなお寺ではないのだけれど、境内にはたくさんのオオコウモリたちが木にぶら下がっている。
このところコロナウイルスとの関連性を指摘されたりして、ただでさえ日本人からあまり好かれていないコウモリなので、Iさんはどんな反応を見せるだろうかと気になっていたけれど、もともとが動物好きなIさんは、この寺をとても気に入ってくれたようだ。

バンパコーン川
[バンパコーン川、昔はバンコクのセンセープ運河とつながりカンボジア国境まで行けたらしい]

ここのコウモリは果物を食べるそうで、顔がキツネに似ている。
それで英語ではフライング・フォックスなどと呼ばれているらしい。
頭から胸のあたりに毛が生えていて、色もキツネ色をしている。
ふだんコウモリなどが哺乳類動物だと感じることは少ないのだけれど、こうしてキツネみたいな姿を見ていると、やっぱり哺乳類なんだなと思える。
大きさもネコくらいはあり、羽を広げると1メートルはありそうだ。

空飛ぶキツネ
[顔は確かにキツネに似ている]

寺に着いたとき、門の前で坊さんに呼び止められた「どこから来たのか」との質問。
これはコロナの感染防止で、域外者のチェックかなと思ってピサヌロークからと答えたのだけれど、その坊さんは域外者のチェックなどとは関係なさそうなことを話し始めた。
「この近くに、良い土地が売りに出ているけど、興味ないかな」と言っている。
どうやら土地の口利きを副業にされているらしい。
興味ございませんとお断りして、入り口近くの鐘楼に登る。
ここの方が木の枝にぶら下がっているコウモリたちを観察しやすい。
キツネ顔をスマホで写真に撮ろうとするけれど、空が明るく木の枝にぶら下がっているコウモリを見上げるようにして撮影すると逆光になってしまう。
また、鐘楼に登ってコウモリに近づいたつもりでも、まだ距離がありズームを最大限にして撮影すると、画像の解像度が悪くなる。
スマホは画質を自動補正してくれるけど、やっぱり遠くのものを撮影するには光学ズームの方がくっきりするみたいだ。

鈴なりのフルーツコウモリ
[この写真は光学ズームのできるデジカメで撮影]

寺院内にはタイのどこの寺でも同じだけれど、犬が多い。
吠える犬もいる。
以前は大きなカメがたくさんいたはずなのだけれど、今回は一匹も目にしなかった。
カメたちはどこへ消えたのだろうか。

チャチュンサオからさらに東へ向かう。
もう10年以上前になるけど、このハイウェイをバイクで走ってアランヤプラテートで国境を越えてアンコールワットまで往復したことがある。
あの時も大型トラックの多い道だと思ったけれど、現在はさらに大型トラックの通行量が増している。
それに合わせて、道路の拡幅工事や、立体交差の工事があちこちで行われており、道路標識なども撤去されていたりして、いちど曲がるべき道を間違えて、気が付いたらチョンブリへ南下するハイウェイに入っていたりした。

雨期ではあるけれど、天気は晴れ。
日差しも強い。
サケオまではひたすらまっすぐな道が続いている。
民家もほとんどなく、植林されたユーカリばかりが両脇に並んでいる。
昼間はいいけれど、夜中だったら走りたくない道だ。
途中で故障などして止まってしまったらと思うとぞっとする。

ランチは少し早めだったけれど、サケオ市内へ入る交差点手前のレストランに入る。
Cruise Awayという名前のしゃれた店。
この辺りには、あんまり似つかわしくない。
食べられるものはピザやパスタなどのイタリアン。
昼には少し時間が早かったのか、他に客もおらず、客がいないからかエアコンも入れてなく、扇風機が回っていた。
我々が入ってもエアコンのスイッチが入るわけでもなかった。
最初に出てきた女性のスタッフはあんまり愛想が良くなくて、こりゃ失敗したかなとも思ったのだけれど、注文の段になると、このスタッフは奥に引っ込んで、若い女性スタッフが出てきて、これは愛想が良かった。
私はピザのベジタブルとマルガリータをハーフ・ハーフにして注文。
Iさんはシーフードのスパゲティー。

Cruise Away
[タイの田舎らしからぬレストラン]

しばらくして車2台で乗り付けてきたので、お客さんが入ってきたかと思ったのだけれど、西洋人の男性と、タイ人女性そしてその子供と思われる小学生くらいのハーフの男の子で、子供は自分の家のようにして遊んでいる。
どうやらこのレストランのオーナー一家のようだ。
しばらくして、その友人と思われるタイ人女性も合流してきた。

ピザは生地の薄い本格的なもので、ピサヌロークで見かけるチーズの代わりに甘ったるいマヨネーズをかけたものとはまるで違っていた。
タバスコもテーブルに用意されているたので、めいっぱい振りかけさせてもらう。

ハーフ&ハーフのピザ
[本物のピザを食べたのは何年ぶりだろう]

西洋人の男性が私たちのテーブルへやってきて、挨拶をしていった。
やっぱりオーナーだったようだ。
気分は悪くない。

ピザは250バーツと私のランチ予算としてはかなり高めであったけれど、味もボリュームも満足で切るモノであった。
これで、よく冷えた辛口の白ワインでも飲むことができたら最高なんだけど。

お客は私たち以外に、あとから一人でやってきた西洋人男性一人だけであった。
この一人も特に注文をするわけでもなく、ただテーブルに着いてリラックスしているように見える。
このレストラン、サケオ周辺に住みついている西洋人たちのクラブ的な存在なのかもしれない。

アランヤプラテートの国境手前で左折してサドットコークトム遺跡へ向かう。
8年くらい前になるだろうか、正月にネコとイサーンをドライブして、帰り道にカンボジア国境を回るルートをとったことがあった。
あの時はここにクメール遺跡があるとは知らず、ただ道端の看板に遺跡を示すものがあったなといった印象しか残っていない。
あの頃はまだ無名な遺跡に興味などなかったので素通りしてしまった。

しかし、このサドックコークトム遺跡、今でもほとんど無名ではあるけれど、かつて遺跡の周辺は地雷原で、地雷の除去をしながら10世紀ころのクメール遺跡を修復したのだそうだ。
しかも、その修復費用は日本の民間や個人からの寄付によるものらしい。
修復方法も、日本的な手法が取られ、オリジナルな部分と新しく修復された部分がはっきりわかるようになっているという。

そんなことを知ってがぜん興味が湧いてきて、今回パノムルン遺跡へ行くルート上で立ち寄ることにした。

サドックコークトム遺跡は国道から逸れてカンボジア国境へ限りなく近づいたところにある。
周辺はのどかな農村地帯で、集落も点在しているし、牛を追っている人の姿もある。
サケオへ向かう一本道と比べて、なんとなく人が生活している環境に感じられる。
国境が近いけれど、物々しさも感じない。
検問を兼ねたバリケードもあったりするけれど、誰もいないのでフリーパス。
これなら密入国しても捕まることはなさそうだ。

午後の2時少し前、一番暑い時刻にサドックコークトム遺跡へ到着。
広い駐車場が整備されており、売店などが入る建物もあるけれど、駐車している車は数台で、売店用のテナントスペースはすべて空いていた。
こんなに立派に整備しても、知名度が低いので、わざわざやってくる観光客は少ないのだろう。
日本から届いた修復費もこんなところで使われてしまっているのかと思うと、なんだかもったいなく感じる。

サドックコートトム遺跡の駐車場
[正直な感想として、無駄に広すぎる]

入り口横には立派な建物の資料館があったけれどまだオープンしていないとのこと。
そして、この遺跡は嬉しいことに入場無料。
タイの多くの遺跡で入場料を課しているのに、ここが無料と言うのは、日本が修復に関わっていることと関係があるのだろうか?

修復記念碑
[修復記念碑には日本の企業や個人の名前が書きこまれていた]

リンガが両脇に並ぶ参道はラテライトの石畳になっている。
欠けてたりするリンガは一様に黒ずんで、表面も荒れているので、きっとこれはオリジナルなのだろう。
そして、白っぽくて、完全な形をしているのは、修復時に新しく作ったものなのだろう。
リンガは砂岩でできているようだ。
リンガの並ぶ参道の奥にヒンズー寺院遺跡が見える。

サドックコートトムの参道
[リンガの並ぶ参道を歩くとクメール遺跡に来たという実感がわいてくる]

このサドックコークトム遺跡のヒンズー寺院は、二重の回廊に囲まれた中心にクメール様式の仏塔が立っている。
ヒンズー教なので仏塔と言うのも変だし、塔の形をしているけれど、それは巨大な祠のようになっている。

事前に学習しておいたのだけれど、この遺跡もまぐさ石(リンテル)が各門の上に配置され、レリーフが施されている。
ここでも修復した部分はレリーフはなく、表面が平らな石をはめ込んであるので、どれがオリジナルかすぐわかる。

修復部とオリジナル
[このまぐさ石は半分に割れていたようで、半分だけオリジナル]

レリーフはヒンズーの神々たちの物語を描いているようで、シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーそしてインドラ神が見られる。
他にもゾウなどもいる。
レリーフはどれもとても賑やかで、混とんとしていながら、躍動感が伝わってくるようなタッチで彫られている。
スコータイの漆喰で作ったレリーフと異なり砂岩を彫ったレリーフなので、保蔵常態がよくて、細かな部分も良く残っている。

乳海撹拌
[これは乳海撹拌らしく、下に複数の阿修羅の足が見え、上に多頭の大蛇ナーガの頭が見える]

中央の塔は1基だけで、塔の前にある階段を登ったところに祠への入り口があり、その中にはヨニにささったリンガがご神体として安置されている。
リンガは白っぽく、完全な形をしているので、これは修復時に作られたレプリカと思われる。
リンガがあることで、このヒンズー寺院はシヴァ神を祀った寺院であることがわかる。
クメールの寺院で、私の記憶では、ほとんどの寺院がシヴァ神を祀っており、ヒンズーの他の神を中心に祀っているところは思い出せない。

主塔
[ここの主塔は単独の一基のみ]

主塔の階段から振り返ると正面に内側回廊のゴプラムがイイ感じに見える。
左右対称に回廊が伸び、回廊の屋根は落ちてしまっているが、妻は残っている。

内回廊のゴプラム
[日差しが強くてかなわないが、晴れててよかった]

このサドックコークトム遺跡は規模はそれほど大きくないけれども、修復と保存の状態が良いので、見ごたえがある。
まぐさ石でのレリーフなども、状態が良いものが多く、じっくりと見物したいところなのでけれど、遺跡内には一切の解説がない。
各レリーフに、ここに彫られているのはなんで、どんなシーンなのかを説明してくれるパネルでも設置してくれた、もっと理解が進むだろうと思う。
駐車場とかの整備費用の一部でも、パネル設置に使ってほしかった。

私が熱心にレリーフばかり見ていたのでIさんは少し時間を持て余してしまったようだ。
レリーフなんかで立ち止まらず、建物の外観だけを見て回る分には、それほど大きくもないので30分も見学すれば十分なところ、1時間もかけてしまった。

まぐさ石のレリーフ
[上の段は欠けてしまっているが、馬をねじ伏せるクリシュナで、馬はよく残っている]

次に向かうのはブリラム県のムアンタム遺跡。
カンボジアとの国境沿いの田舎道を走り、国道に出てしばらく行くと正面に山が迫ってくる。
その山を登る急な坂道が続き、大型トラックなどは荷が重すぎるのか、歩くような低速で登ってる。
カーブの続く道で、対向車も多く、トラックを追い抜けず後続の車が何台もつながっている。
ときどき、後ろから辛抱できずに追い越しをかけてくる車もあるけれど、トラックを追い抜く前に対向車と鉢合わせして、またトラックの後ろに続く車列に割り込んでくる。

この峠を登ったところがブリラム県となるのだけれど、峠は登りだけで、下りはない。
つまり、山を越えるのではなく、峠を登ったところからずっとイサーンの大地が広がっている。
グーグルアースで調べてみたら、峠の下は標高120メートルなのが峠の上では300メートルを超えている。
つまり200メートル近く登ったことになる。

このイサーン大地を登ったところは、少し開けた場所で、そしてまっ平らである。
道沿いではパッションフルーツを売る出店が並んでいる。
このあたりではトケイソウがたくさん自生しているのかもしれない。

2時間近くドライブして、4時半過ぎにムアンタム遺跡に到着。
さっきまで真上近くから照り付けていた太陽もだいぶ西に傾いてきた。
正面入り口のゲートは閉じていたけれど、その北側のコーナー近くにゲートがあり、しっかりと入場料も請求された。
入場料は大人100バーツだけれど、この先の丘の上にあるパノムルン遺跡とのセットならば2カ所で150バーツという。
これからパノムルンへも行くつもりなので迷わずセットのチケットを購入。
その際に、係の女性からパノムルンは6時には閉まっちゃうから早く行きなさいよと注意を受ける。
タイに在住しているのだろうけど、西洋人も見学に来ていた。

ムアンタム遺跡
[ムアンタム遺跡は時間がなくて駆け足見学となってしまった]

ムアンタム遺跡もクメール時代の遺跡で、規模としては先ほどのサドックコークトム遺跡よりも少し大きい感じ。
ラテライト石の土台の上に、少し赤みを帯びた砂岩の建物がのっかっている。
構造としては、サドックコークトムと同じで二重の回廊が巡っており、中央に主塔があることになっているけれど、ムアンタムでは主塔は修復復元されていない。

ムアンタム遺跡のゴプラム
[回廊のゴプラムはサドックコートトムと比べると小ぶり]

さらに主塔は完全に崩壊しているけれど、主塔の左右に位置する塔は復元されている。
左右の塔の建築材は砂岩ではなく、レンガのようなブロックのようだ。

主塔両脇の塔
[もともとは主塔を囲むように4つの塔があったようだ]

西側の回廊と回廊の間には溜池が掘られていた。
溜池には階段が付いていて、もともとは沐浴をする場所だったのかと思われる。
溜池へ降りる階段の入口には小さな門があり、ここをくぐるには屈まなくてはならないくらい小さな門になっている。
この門にもレリーフが施され、中央にいるのはインドラ神のように見える。
そしてその下にいるのは、カーラという頭だけで身体のない神のようだ。

ため池と池に降りる門
[ため池と池に降りる門]

ここでもまぐさ石の施されたレリーフに興味がいってしまう。
だいたい、レリーフに描かれている構図のパターンはこれまで見てきた遺跡とも共通しているようなので、「ここでこんな形のポーズをしていたら〇〇神で、どんなシーン」なのかを説明するガイドブックでもあれば一冊ほしいものだ。
ネットで遺跡の訪問記みたいなブログとかで調べても、レリーフの写真はあっても、そのレリーフに関する説明を付けているものはとても少ない。
英語で書かれたサイトだと、もう少し学術的なことをしっかり説明しているモノもあるのだけれど、こんどは英語がよくわからないので、理解が十分できない。

柱の下のレリーフ
[こんなところにもレリーフが施されている]

そんなこんなしているうちに、時刻は5時になってしまい、急がないとパノムルン遺跡を見られなくなってしまう。
そればかりか、せっかく150バーツで買ったセット入場券が無駄になってしまう。

急いでパノムルンの丘を登る。
標高差が150メートルほどで、ずっと8パーセントの上り坂が続くけれど、ムアンタムから近いので10分ほどで到着。

駐車場から更に石畳の坂道を登ると、神殿へ続く長い参道に行きつく。
ここもサドックコークトム遺跡とおんなじで、参道の左右にリンガがまるで神社の石灯籠のように並んでいる。
西日が真正面から照り付けてきて、とてもまぶしく、パノムルン遺跡が逆光となってしまっている。

逆光のパノムルン
[逆光でのシルエットも美しい]

長い参道の先には十字型をした台座のような橋が架かっている。
これはピマイ遺跡でも見てきたもので、天界と地上をつなぐ橋ということになっていた。
この十字の形をした中央にハスの花のレリーフが刻まれている。
十文字の欄干は多頭のヘビ、ナーガになっている。

十字の橋の先には、さらに神殿の丘へとつながる石の階段が続いている。
何層かの踊り場があり、階段は全部で52段だそうだ。
52という数字は、1年間が52週間だからだと説明を聞いたこともあるが、お釈迦様が悟りをひらかれる際、悟りの境地に至るまでには、全部で52段階のステップがあるとも聞いたことがある。
ここはヒンズー教の寺院なので、お釈迦様は直接関係ないかもしれないけれど、古代インドの世界では52という数字は特別な意味を持っていたのかもしれない。

52階段
[52段の階段を上ると悟りの境地に至れるということかな]

階段を登り終えたところに再び十字の橋があり、その先の回廊の門が開いている。
パノムルンの回廊は一重のようで、回廊の屋根も崩れたままではなく、修復されている。
回廊の周りには連子窓もあるが、窓枠だけて、窓が石で埋まっているイミテーションの窓もある。

イミテーションの窓
[逆光でわかりにくいけど、このイミテーション窓は単にデザインのための窓なのかな]

ここの回廊の門になっているゴプラムはサドットコークトムと比べると塔としての高さはあまりない。
しかし、まぐさ石とその上の部分には砂岩のレリーフがとても良い状態で見ることができる。
これらがオリジナルのモノなのか、修復時に新しく彫られたものなのかは私にはわからないが、かなり深く彫ってある。

強烈なクリシュナ
[ゾウとライオンをねじ伏せるクリシュナ、ヒンズー神一番の美少年だそうだけど顔が削り取られている]

この回廊の門から覗くと、その先の中央の主塔もトンネルのようになっていて、さらに回廊の後門の先まで見通せるようになっている。
春分の日や秋分の日には、登ってくる太陽の光が、この門を抜けて主塔の祠に安置されたリンガを照らし、そしてその先まで抜けていくという神秘的な景観が見られるそうだ。
もう数日したら秋分の日だし、朝日でなく夕陽でも逆側から見たらおんなじだろうと思ったけれど、たった数日でも太陽はまだ北側に逸れているのか、神秘的な景観は見ることができなかった。

正面の門からのぞく
[光の加減を建築デザインに取り込むとは天才的]

回廊をくぐってすぐに主塔の東端の入り口になるのだけれど、この入り口の上の部分のまぐさ石は、このパノムルンのシンボル的な存在で、1960年代に盗まれ、その後1970年代にシカゴの博物館にあることが確認されて、タイ国内で返還運動が起こって、1988年にアメリカから返還されたというもので、返還運動ではタイの国民的人気バンドであるカラパオがタップラン(まぐさ石)という歌を作って大ヒットさせている。
私も当時タイでこの歌があちこちから流されているのを聞いたことがある。

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You Tube より https://www.youtube.com/watch?v=aaVZ4SXh53k

有名なまぐさ石
[これが有名になったまぐさ石]

このまぐさ石に彫られているのは、大蛇ナーガ(アナンダ)の背で寝ているヴィシュヌ神(ナライ神)のヘソから蓮が伸びて、その花から万能の神ブラフマーが誕生するというもの。

割れた右側の部分は、バンコク市内の骨董市で発見されたという。
カラパオの歌のビデオを見ると米軍のヘリコプターが来て盗んで行ったように構成されているけれど、片割れが骨董市で見つかっているので、真相はタイでよくあった遺跡から仏像などを盗む泥棒の仕業で、それをベトナム帰りの米軍帰休兵が買って本国へ持ち帰ったというのではないかと推測している。

ここパノムルン遺跡にもネコと来ている。
やはりイサーンを回った時に立ち寄ったのだけれど、ネコは当然遺跡なんかに興味はなく、有難迷惑だっただろう。
こちらもただの親バカみたいなもので、ネコを連れ歩きたいだけ。
でも、ネコは犬と違って紐でつないで一緒に歩いてくれないから、籠に入れて抱えて歩かなくてはならない。
ウチのネコは肥満気味で重たくて、広い遺跡と石の階段のアップダウンが大変だったことを覚えている。

ネコよ
[いたるところにネコとの思い出がある]

主塔の北側にはラーマヤナ物語のレリーフが彫られている。
ここではちゃんと解説のパネルが用意されているのでわかりやすい。
これも当時のものか後から修復時に再現されたものかわからないけれども、ラーマヤナ物語で悪魔と戦うシーンのたくさんのサルたちがよく見られる。

サルがいっぱい
[ちょっと見えにくいですが、いろんな姿で戦うサルが彫られてます]

レリーフ巡りをしているうちに時刻は6時近くとなり、遺跡内の警備員から早く出ていくように急き立てられる。
ほかにもまだ観光客はいたけれど、彼らも渋々と出口の方に向かい始める。
ほんとうはこの丘の上から夕陽を眺めたいところだったけれど、日没まではまだ少し時間があり、夕陽を見ることはかなわなかった。

夕陽を背にしたパノムルン
[もっと見学時間を取れるようにすべきだった]

今夜の泊りは遺跡から車で30分ほどのところにあるナンロンと言う町のはずれにある宿屋でオンラインサイトで一泊400バーツほどと格安料金での予約をしておいた。
田舎町の、しかも町はずれということもあり、周辺にはなんにもない。
夕食は町に出て、イサーン名物のチムチュム鍋を食べようということにしていた。
どこでチムチュムが食べられるかはグーグルマップで検索していたのだけれど、いざグーグルマップに従って行ってみると、それらしき店など全く見当たらない。
グーグルマップの位置情報が間違っていることも考えられるし、グーグルマップの情報が古くて、とっくに廃業か移転をしてしまっていることも考えられる。
こうして予定していたところで夕食が食べられなくなると、またどこか別なところを探さなくてはならない。
小さな町の中を車で行ったり来たりしたけれど、田舎町にありがちな、どの食堂も閉店時間が早くて、営業していないのか、それとももともと外食する習慣がこのあたりにはないのか、屋台のような店以外見当たらなかった。
一軒だけ池のほとりにちょっとはましな店構えの食堂があった。
食べられるものはムーガタというタイ式(タイでは韓国風とされている)の焼肉の店で、私としてはあまり食指は動かないが、たぶん町で一番人気の食堂なのか車やバイクで乗り付けられていた。
ムーガタもチムチュムも親戚みたいなものだから、ここでもチムチュムを食べさせてくれるのではないかと思って、店に入り従業員に確認したら、やはりムーガタしかないとのこと。
しかし、こちらがチムチュムを食べたがっていることを従業員が理解すると、従業員たちが集まって、この町の中でチムチュムを食べされてくれる場所を調べて教えてくれた。
そのチムチュムが食べられる食堂までの行き方は、グーグルマップで示してくれた。

教えられたチムチュムの店は、村役場の裏にあり、教えてもらえなければたどり着けなかったと思う。
しかし、店はオープンエアながら奥行きのある店で、奥の方に入ってみるとビールを飲みながら鍋をつついている先客がいた。
店の者にビールを飲めるのかと問いただすとOKだという。

チムチュムのセット一人前に、プラードーリーというナマズの切り身、魚豆腐、イカや追加の野菜などを入れて煮込む。
壺のような形をした土鍋を炭火で熱するもので、鍋が沸騰するまでに少し時間がかかったが、この待ち時間にチムチュムのタレを肴にしてビールをグビる。
チムチュムのタレにはカオクアと言う砕いた米を炒ったものが入っており、唐辛子を薬味がいろいろと入っている感じになっている。
これをひと舐めして、ビールを飲むとやたらと旨い。
こうして食堂でビールを飲むなんて何か月ぶりだろうか。
もう感動ものである。
鍋の方も煮え立ち、イサーンらしくタイ・ハーブ類がたっぷり入った野菜を鍋にぶち込み、タレを付けて食べると、これまたビールがうまくなる。
そんなこんなで結局ビールを2本も飲み干してしまった。

チムチュム鍋
[バカウマでした]


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